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「源氏物語」現代語訳
◇広島の演出家、三澤憲治による『源氏物語』の現代語訳/01桐 「源氏物語」現代語訳
源氏物語五十四帖
01 桐壺(キリツボ)
02 帚木(ハハキギ)
03 空蝉(ウツセミ)
04 夕顔(ユウガオ)
05 若紫(ワカムラサキ)
06 末摘花(スエツムハナ)
07 紅葉賀(モミジノガ)
08 花宴(ハナノエン)
09 葵(アオイ)
10 賢木(サカキ)
11 花散里(ハナチルサト)
12 須磨(スマ)
13 明石(アカシ)
14 澪標(ミオツクシ)
15 蓬生(ヨモギウ)
16 関屋(セキヤ)
17 絵合(エアワセ)
18 松風(マツカゼ)
19 薄雲(ウスグモ)
20 朝顔(アサガオ)
21 少女(オトメ)
22 玉鬘(タマカズラ)
23 初音(ハツネ)
24 胡蝶(コチョウ)
25 蛍(ホタル)
26 常夏(トコナツ)
27 篝火(カガリビ)
28 野分(ノワキ)
29 行幸(ミユキ)
30 藤袴(フジバカマ)
31 真木柱(マキバシラ)
32 梅枝(ウメガエ)
33 藤裏葉(フジノウラバ)
34 若菜上(ワカナジョウ)
35 若菜下(ワカナゲ)
36 柏木(カシワギ)
37 横笛(ヨコブエ)
38 鈴虫(スズムシ)
39 夕霧(ユウギリ)
40 御法(ミノリ)
桐壺(きりつぼ)

 (1)どの帝の時代であったか、女御や更衣が大勢仕えていた中に、最高の身分ではないが、とりわけ帝の寵愛をえている方があった。
 はじめから
〈じぶんこそは〉
 と思いあがっている女御たちは、
〈目ざわりだ〉
 とさげすみ嫉む。同じ身分、それより低い更衣たちはなおさら気がおさまらない。
 (更衣は)朝夕の宮仕えで、人々を悔しがらせ、恨みをかうことが積もったせいか、とてもからだが弱って、心細く実家に帰りがちになるのを、(帝は)たまらなくふびんに思われて、他人の非難も気にされず、世の中の悪しき例にもなりかねない可愛がりようである。
 上達部、殿上人なども見ないふりをして、まったく見てはいられないほどの愛されかたである。
「唐土でも、こういうことが原因になって、世も乱れて悪くなった」
 と、しだいに、世間でも、
〈困ったことだ〉
 と人々の悩みの種となって、楊貴妃の例までも出されるようになっていくので、(更衣は)耐え難いことが多いけど、ありがたい帝のくらべものにならない愛情をたよりにしていらっしゃった。
 (更衣の)父の大納言は亡くなって、母の北の方は旧家の出の教養ある人で、両親がそろっていて、さしあたって世間の評判も華やかな方たちにもひけをとらないように、どのような儀式にも対処なさっていたけれど、これといったしっかりした後見人がいないものだから、事あるごとに、やはり拠り所がなく心細いようである。

 (2)前世の契りが深かったのだろうか、この世にない清らかな玉のような皇子がお生まれになった。
 (帝は)いつ会えるかと待ち遠しく思われて、急いで参内させてご覧になると、希少この上ない容貌だった。第一の皇子は、右大臣の娘の女御から生まれて、後見もしっかりしていて、疑いもなく皇位継承の方と、世間でも大切にあつかっているが、この君の輝くような美しさには並びようもなかったので、(帝は)(第一の皇子は)公人としてひととおり大切にされるだけで、この君のほうを、私人として可愛がられること限りない。
 (更衣は)はじめから並みのおそば勤めをしなければならない身分ではなかった。世間の信望はとてもあつく、貴い人だったけど、(帝が)どうしようもなく一緒にいたいばかりに、管弦の遊びのつど、どんなことでも雅趣ある催しがあるたびごとに、真っ先にお呼びになる。時には、寝過ごされてそのまま引き止めておかれるなど、どうしてもそばから離されないので、しぜんと身分の軽い女房のように見えたが、この皇子がお生まれになってからは、(更衣を)特別に扱うように決められたから、
〈東宮にも、もしかすると、この皇子を立てらられるのではないか〉
 と、第一の皇子の母女御は疑っていた。(この方は)ほかの人より先に入内されて、(帝も)大切な方と思われる気持ちがあって、皇女たちもいらっしゃるので、この方の忠告だけはわずらわしく心苦しく思っていらっしゃった。
 (更衣は)この上ない庇護にすがっていながら、あら捜しをされる方も多く、じぶんは病弱で無力なので、愛されれば愛されるほど悩まれてしまう。
 お部屋は桐壺である。(帝が)大勢の女御や更衣の部屋をたえず素通りされるので、人々が呆れてしまわれるのももっともである。(更衣が)参上されるときも、あまり度重なるときは、打橋、渡殿のあちこちの通り道に汚物などをまき散らして、送り迎えの女房たちの着物の裾を台無しにしてしまい、また、ある時には、どうしても通らなければならない廊下の戸を閉めて閉じ込め、こっちとあっちでしめし合わせて辱めたり困らせたりすることが多かった。
 なにかと、数しれないほど辛いことばかり重なるので、(更衣が)ひどく思い悩んでいるのを(帝は)ますますふびんに思われて、後凉殿にもとから仕えていた人の部屋をほかに移させて、控えの間として更衣に与えられた。移された人の恨みはなおさら晴らしようがない。

 (3)この皇子が三歳になられた年、袴着の儀式を、一の宮が着用されたものに劣らないように、内蔵寮、納殿の財物をつくして盛大に行われる。
 それにしても世間の非難ばかり多いけど、この皇子のだんだん成長なさってゆく顔立ちや気立てが世にもまれなものであったから、憎もうにも憎めない。「ものの心(情理)」を知っている方は、
〈こんな方がよくもこの世に生まれてこられたものだ〉
 と、驚嘆している。

 (4)その年の夏、御息所(更衣)が、ちょっとした病を患って、退出なさろうとしたが、(帝は)暇さえ許されない。ここ数年、病気がちだったので、それがふつうになって、
「もうしばらく様子をみては」
 と言っておられるうちに、日に日に重くなって、わずか五、六日のうちにひどく弱ってくるので、(更衣の)母君が泣く泣くお願いして退出させられた。こうしたときにも、失態があってはと用心して、皇子はおいて、人目につかないように退出される。
 掟があれば、いつまでも引きとめておくこともできないし、見送ってあげることもできないもどかしさをどうしようもなく感じられる。とても華やかな美しい人が、すっかりやつれて、ひどく悲しみに沈んで、口に出して言うこともできないで、生死もわからないほど息も絶え絶えなのを(帝は)ご覧になると、過去も未来も真っ暗で、いろいろなことを泣く泣く約束なさるけど、(更衣は)返事もできないで、目つきもよほどだるそうで、ふだんよりいっそうなよなよして意識がもうろうとして寝ているので、(帝は)どうしたものかと不安にかられる。退出の輦車(てぐるま)の勅許を伝えられても、また部屋に入られて退出させようとはなさらい。
「前世の約定で定められている死の旅も一緒にと約束されたではないか。わたしを残しては行けないよ」
 と言われるのを、女もまったくそのとおりだと思って、

「かぎりとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり
(限りがあるけれど別れるなんて悲しい、ずっといっしょに生きていたい)

ほんとうにこんなことになることがわかっていたら」
 と、息も絶え絶えに、言いたいこともありそうだけど、とても苦しそうでだるそうなので、(帝は)このままで、とにかくなりゆきを見届けようと思われるが、(更衣の母君が)
「きょうから始める祈祷など、それなりの験者(げんざ)たちが承っていて、それが今夜から」
 とせきたてるので、(帝は)しかたなく退出させられる。
 (帝は)胸がつまって、少しも眠れないで、夜を明かすことができない。見舞いの使者が行き来する時間でもないのに、しきりに気がかりな気持ちを漏らしておられたが、
「夜中過ぎに、お亡くなりになりました」
 と言って泣き騒ぐので、使者も気を落として帰参した。知らせを聞かれた帝は気が転倒、どうすることもできなくなって、閉じこもっておられる。

 (5)(帝は)皇子を、それでもご覧になっていたいけど、喪中に宮中にいることは前例のないことなので、退出ということになる。
 (皇子は)なにが起こったかもわからないで、仕えている人々が泣き騒ぎ、帝も涙をとめどなく流していらっしゃるのを、不思議そうにながめていらっしゃるばかり。ただでさえ父との別れは悲しいものなのに、なおさら哀れでなんとも言いようがない。

 (6)(掟には)限りがあるので、慣例どおりに葬ってあげられるのを、母北の方は、
〈同じ煙になって天にのぼってしまいたい〉
 と泣き焦がれて、野辺送りの女房の車に追いかけるようにして乗られて、愛宕(おたぎ)という所で、厳粛な葬儀を行っているところへ、到着なさったときの気持ちは、どんなであったろう。
「むなしい亡骸を見ても、まだ生きているように思われてしかたがないので、灰になられるところを見届けて、今はもう亡くなった人だときっぱりとあきらめましょう」
 と健気におっしゃっていたけど、車から落ちそうなほど取り乱されるので、やはり思っていたとおりだと、人々ももてあましている。
 宮中から使者がある。三位の位を追贈なさる旨、勅使が来て、その宣命を読み上げるのは、悲しいことだった。(帝は)女御とさえ言わせないでいたことが心に引っかかっていたので、
〈せめて一階級上の位でも〉
 と追贈されたのだった。それにつけても、憎まれる人々が多い。
 「ものの心」を知る人は、姿やお顔が美しかったこと、気立てがおだやかで欠点がなく憎めなかったことなどを、今となって思い出される。(帝の)見苦しいほどの寵愛だったからこそ、冷淡に妬んだのだが、(更衣が)人柄がやさしく情愛が深かったのを、おそば勤めの女房たちも恋しく思っている。
「なくてぞ(人は恋しかりける)」
 とは、こんな時のことをいうのだと思われた。

 (7)いつのまにか日数が過ぎて、(帝は)七日七日の法要などにも心をつくして弔問される。時がたつほどに、どうしようもなく悲しくなるので、女御・更衣たちの宿直(夜の奉仕)などもされなくなって、ただ涙にくれて過ごしていらっしゃるので、見ている者までが涙がちになる秋である。
「亡くなった後も、憂鬱にさせる寵愛ぶりね」
 と、弘徽殿女御などは、今なお許すことができないで言われる。一の宮をご覧になっても、若宮の恋しさばかりが思い出されて、気心のしれた女房、乳母などをつかわして(若宮の)様子をたずねられる。

 (8)野分らしい風が吹いて、急に肌寒い夕暮れのころ、(帝は)いつもより思い出されることが多くて、靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)という女房を遣わされる。
 夕月の美しいころに出立させて、そのままぼんやりと物思いにふけっておられる。このようなときは、管弦の遊びなどされたが、(更衣は)きわだって上手な琴の音をかき鳴らし、ふともらされる言葉も、ほかの人とはちがっていた雰囲気や容貌が、幻となってそのままずっと寄り添っているように感じられても、闇の現にはやはり及ばない。
 命婦は、更衣の里に到着し、車を門内に引き入れるなり 寂しさがただよっている。(母君は)やもめ暮らしだったけど、一人娘のために、あれこれと手入れして、みすぼらしくないように過ごしていらっしゃったが、悲しみで途方にくれて寝込んでるうちに、草も伸びて、野分でいっそう荒れた感じになって、月の光だけが、生い茂った雑草にもさえぎられないで射し込んでいる。
 (命婦を)南に面した部屋(表座敷)に迎えて、母君もすぐには何も言えない。
「今まで生きながらえているのも情けないのに、このようなもったいないお使いが草深い家の露をわけてお越しになられると、恥ずかしくてなりません」
 と、じっさいこらえきれないほど泣かれる。(命婦は)
「『訪ねてみると、ますます心苦しく、魂も消えてしまうよう』と典侍(ないしのすけ)が申し上げていましたが、物事の情理を解せないわたしのようなものでも、ほんとうに身につまります」
 と言って、少し気持ちを落ち着かせてから、(帝が)言われたことを伝える。
「『当分は夢だとばかり思っていたが、ようやく気持ちが落ち着くにつれて、かえって(夢ではないから)覚めるはずがない耐え難さを、どうしたらいいのかと相談できる人さえいないから、目立たないように来てはいただけないか。若宮が、とても気がかりで涙がちの里で暮らしているのもかわいそうだから、早くお越しください』などと、はきはきと最後まで言われないで涙に咽びながらも、一方では、人も気が弱いと見るのではないかと、悲しみを隠されないでもない様子がいたわしくて、お言葉を最後までお聞きできないような状態でまいりました」
 と言って(帝の)手紙を渡した。(母君は)
「目も見えませんが、このような畏れ多いお言葉を光としまして」
 と言ってご覧になる。
「時がたてば少しは紛れることもあるだろうと心待ちに過ごす月日がたつにつれて、悲しみが深くなっていくのをどうすることもできないのです。幼い人がどうしているかと心配しながら、あなたと一緒に育てることができないのが気がかりです。今は、やはり、(わたしを更衣の)生前の想い出と思ってお越しください」
 などと細かく書いていらっしゃる。

宮城野の 露吹きむすぶ 風の音に 小萩がもとを 思ひこそやれ
(宮中の涙をそそる風の音に、若宮のことが偲ばれる)

 とあるが、とても最後までご覧になれない。(母君は)
「長生きがほんとに辛いと思い知らされる上、(あの長寿を恥じる)高砂の松がどう思うかとそれだけでも恥ずかしく思われますのに、宮中に出入りするなど、なおさら、考えもしないことです。畏れ多いお言葉をたびたび戴きながら、わたし自身はそんな気はまったくありません。若宮は、どこまでわかっていらっしゃるのか、参内なさることばかり急がれるようで、それももっともだと悲しく見守っていることなど、こちらの思っていることを申し上げてください。(娘に先立たれる)不吉な身ですから、(若宮が)このままいらっしゃるのも、忌まわしく畏れ多いことで」
 と言われる。  
 若宮はおやすみになっていた。(命婦は)
「お見かけして、詳しくご様子を申し上げたいのですが、(帝が)お待ちですし、夜も更けますので」
 と言って(帰参を)急ぐ。(母君は)
「子を亡くした母親の耐え難い悲しみのわずかでも、晴らしたくお話をさせていただきたいので、公の使者ではなくお気軽にお越しくださいませ。以前は、うれしく名誉なことで立ち寄っていただきましたのに、このような悲しいことでお目にかかるとは、まったく無常な巡り合わせでございます。(更衣は)生まれた時から望みを託した子でして、故大納言が、臨終の際まで、じかに、『この人の宮仕えの念願を、必ず遂げさせてくれ。じぶんが死んだからといって、落胆して志を捨ててはならない』と、くり返し念を押されたので、しっかりした後見人もいない宮仕えは、できるならしないほうがいいと思いながらも、ただこの遺言を守りたいばかりに出仕させたのを、過分なほどのご寵愛を受けてなにかにつけてもったいなく、人並みにあつかわれない恥を隠しながら宮仕えをしていたようですが、人様の妬みが深く積もって、気苦労が多くなっていき、横死のような状態で、ついにこうなってしまったのですから、かえって恨めしいほどの、畏れ多い帝のご寵愛だったと思っております。こんなことを言うのも母親の耐え難い悲しみのせい」
 と言い終わらないで涙でむせかえってるうちに夜も更けた。(命婦は)
 「上(帝)も同じような思いです。『じぶんの心からとはいえ、一途に人が見て驚くほど愛してしまったのも、(前世の定めでふたりの仲が)長くは続かないだろうと思っていたが、今となってはせつない契りだった。じぶんは少しも世間の人を歪めたりしたことはないと思ってきたが、ただこの人のためにだけ、多くの負わなくてもいい人の恨みを負ったあげく、こうして独り残されて、気持ちを静めることもできないで、ますますみっともなく かたくなに成り果てるにしても、前世のことが知りたい』と何度もおっしゃっては、涙にひたってばかりいらっしゃいます」
 と語って言葉も尽きない。泣く泣く、
「夜もすっかり更けたので、今夜のうちにご返事を申し上げましょう」
 と急いで帰参する。  
 月は沈みかけるころで、空が美しく澄みわたって、風がとても涼しくなって、草むらの虫の声々が涙を誘うように聞こえるのも、とても立ち去りがたい草の宿である。  

鈴虫の 声のかぎりを 尽くしても 長き夜あかず ふる涙かな  
(鈴虫のように声のかぎり泣いても、秋の夜長も明けないほどこぼれる涙)

 (命婦は)とても車に乗れない。

いとどしく 虫の音しげき 浅茅生に 露おきそふる 雲の上人
(しきりに虫の鳴くわび住まいに、いっそう涙をもたらす宮中の使者)

愚痴も言いたくなりまして」
 と(侍女に)言わせられる。
 華美な贈物などするときではないので、ただ亡き人の形見として、このような用もあるかと残しておかれた衣装一揃い、髪上げの道具のようなものを添えられる。
 若い女房たちが、悲しいことはいまさら言うまでもなく、宮中の生活になれているので、とても物足りなく、帝のご様子などを思い出すと、(若宮に)早く参内なさるようにと勧めているけど、(祖母君は)こんな忌まわしい身が付き添うのもじっさい世間体が悪いし、そうかといって、(若宮を)見ないで過ごすのも、気がかりに思われて、すぐさま参内させてあげることはできなかった。

 (9)命婦は、まだおやすみになられなかったのだと、いたわしく思った。(帝は)御前の中庭の植え込みがとても美しく盛りなのをご覧になるようにして、ひそやかに、奥ゆかしい女房四、五人をそばにおいて、話をしていらっしゃった。
 このごろ、明けても暮れてもご覧になる長恨歌の絵、それは亭子院が描かせて、伊勢や、貫之に詠ませたものだが、和歌も、漢詩も、もっぱらこういう筋を話題にされている。
 (帝は)とてもこまごまと様子を尋ねられる。(命婦は)身につまされたことをひそやかに申し上げる。(母君の)返書をご覧になると、
「ほんとうに畏れ多いことで、どのようにお受けしたらよいのか。こうしたお言葉も心を真っ暗にして乱れるばかりでして。

あらき風 ふせぎしかげの 枯れしより 小萩がうへぞ 静心なき
(荒い風を防いでいた親木〔更衣〕が枯れてしまって、残された小萩〔若宮〕が心配でなりません)

 (帝は)このように(父親のじぶんを)無視したような表現を、気持ちが静まらないときだからと大目に見られるだろう。
 (帝は)悲しみにうちひしがれた気持ちをおさえようとなさるが、とてもこらえきれない。(更衣が)はじめて入内した時のことまでがあれこれと思い出されて、(更衣なしでは)片時も不安だったのに、それでも月日を過ごしてしまうものだと情けなく思われる。
「故大納言の遺言に背かず、宮仕えの本意をまっとうしたお礼には、そのかいがあるようにと思っていたが、もうなにを言ってもしょうがない」
 と言われて、(母君を)とても気の毒に思われる。
「それでも、しぜんと、若宮が成長したら、(母君に)報いることもあるだろう。長生きしてその時まで辛抱してほしい」
 などと言われる。
 (命婦は)贈物をご覧にいれる。(帝が)これが亡き人の住家を捜してきた証拠の(楊貴妃の)かんざしであったならと思われても無駄だ。

たづねゆく まぼろしもがな つてにても 魂のありかを そこと知るべく
(捜しにいく幻術士がいてほしい、そうすれば人づてでも[更衣の]魂のありかが知れるのに)

 絵に描いてある楊貴妃の容貌は、優れた絵師でも、筆力には限界があるのだから生き生きとした美しさに乏しい。(長恨歌で)大液ノ芙蓉(漢の武帝の造った池の蓮の花―顔)にも、未央ノ柳(漢の高祖のとき、蕭何の造った宮殿の柳―眉)にも、なるほどそっくりの容貌で、唐風の装いは端麗だったろうが、(更衣が)親しみやすくかわいらしかったことを思い出されると、花の色にも鳥の声にもたとえようがない。朝夕の口ぐせに、比翼の鳥、連理の枝になろう(一心同体)と誓ったのに、かなえられなかった命のはかなさが限りなく恨めしい。
 (帝は)風の音、虫の音にも、無性に悲しくなられるのに、弘徽殿女御は、久しく上の局にも上がられず、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをされているようである。(帝は)あてつけがましいと不快に思われる。このごろの(帝の)様子を知っている殿上人や、女房などは、はらはらして聞いていた。(弘徽殿女御は)我が強く意地っ張りなお方で、(帝の嘆きなど)たいしたことないと無視しておられるのだろう。
 月も沈んだ。

雲のうへも 涙にくるる 秋の月 いかですむらん 浅茅生の宿
(宮中でも涙にくもって見えない秋の月、どうして澄んで見えるのか荒れた宿で)

 (帝は若宮を)思いやられながら、灯火の油が尽きるまで起きておられる。右近衛府の役人の宿直奏(姓名を名のる)の声が聞こえるのは、丑の時(午前一時)になったのだろう。人目を気にして寝所に入られても、安眠できない。朝起きても、〈(更衣の存命中は)夜の明けるのもわからないで寝ていたのに〉と思い出され、やはり朝の政務は怠ってしまわれるようである。食事もとろうとなさらないで、朝餉(簡単な食事)を形ばかり箸をつけられて、正式の食膳には、見向きもされないので、給仕の人たちは、(帝の)辛い気持ちをさっして嘆く。すべて、おそばで仕える人たちは、男も女も、
「まったくどうしようもない」
 と言い合っては嘆く。
「そうなる前世からの約束があったのだろう。多くの人の非難や、恨みも気にされないで、あの方のこととなると、道理も失ってしまわれ、今は、今で、このように政務を放棄されてしまうのは、はなはだ不都合だ」
 と異朝の例まで出して、囁き嘆いている。

 (10)月日がたって、若宮が参内された。ますますこの世のものとは思えない気品ある美しさに成長されているので、(帝は)不吉なるものも感じられた。
 翌年の春、東宮が決まるときにも、(第一皇子を)とび越えさせようと思われるが、有力な後見人もいなく、また、世間も承知しそうもないことなので、かえって危険を感じられて、そぶりにもだされなかったから、
「あれほど可愛がっておられてもやはり制約が」
 と世間も噂し、弘徽殿女御も安堵された。
 あの祖母北の方は、心もやすまらず悲嘆にうちしおれて、(更衣の)いる所へ行きたいと願っておられたせいか、とうとう亡くなられたので、また、このことを(帝が)悲しく思われること限りない。皇子が六つになられる年であるから、今度はよくわかって恋い慕って泣かれる。(祖母君は)長年慣れ親しんできたのに、後に残して行くのが悲しいと、何度も何度もおっしゃっていた。

 (11)(若宮は)今は宮中でばかりで暮らされる。七歳になられたので読書始め(漢籍の読み)をさせられると、聡明で賢いものだから、(帝は)そら恐ろしく思われる。
「今となっては、だれも憎むことはできない。母君がいないのだから可愛がりなさい」
 と言われて、弘徽殿などにも連れて行かれ、御簾の中にも入れられる。恐ろしい武士や、敵であっても、見るとつい微笑んでしまうような雰囲気があるので、(弘徽殿女御も)相手にしないわけにもいかない。皇女たち二人が、(弘徽殿女御には)いらっしゃるけど、肩を並べることさえできなかった。女御や更衣たちも顔を隠したりしないで、(若宮が)今から気品があってこっちが恥ずかしくなるほど立派なので、〈とても素晴らしい成人同様の遊び相手だ〉とだれもが思っていらっしゃった。
 正式の学問は言うまでもなく、琴や笛の演奏(遊芸)にも宮中の人々を驚嘆させ、全部語るとなると、大げさすぎて嫌になってしまうほどの人だった。

 (12)そのころ、高麗人(こまうど)の来朝した中に、優れた人相見がいることを聞かれて、宮中に呼ぶことは宇多帝の戒めがあるので、特に内密にこの皇子を鴻臚館に行かせられた。後見役として仕える右大弁の子ということにして連れて行くと、人相見は驚いて、何度も首をかしげて不思議がる。
「国家の元首となって、帝王という最高の位にのぼる相がおありの方だか、そうなると、国が乱れ民も苦しむことになる。朝廷の柱石となって、天下の政治を補佐する方かと見ると、そういう相でもない」
 と言う。
 右大弁も、とても博識のある方で、(高麗人と)語り合った話はとても興味深かった。漢詩なども作りあって、今日明日にも帰国しようという時、このような世にも稀な人に対面した喜び、別離の悲しい気持ちを詩にしたところ、皇子もとても感慨深い詩を作られたので、(高麗人は)絶賛して、立派な贈物の数々を献上される。朝廷からも多くの品を与えられる。しぜんとこのことが広まって、(帝は)漏らされないけど、東宮の祖父大臣などは、一体どういうことかと危ぶんでいらっしゃった。
 帝は、畏れ多い考えから、日本の人相見にも命じてご存じのことだったので、今までこの若宮を親王にもされなかったが、(高麗人の)人相見はまさに賢明だったと考えられ、(若宮を)外戚の威力もない無品の親王にしておきたくない、自分の治世もいつまで続くかわからないのだから、臣下として朝廷の補佐役をするのが将来も安心だと決心されて、ますます多方面の学問を習わせられる。格段に賢くて、臣下にするには惜しいが、親王にすれば世間の疑惑をこうむることになるし、宿曜(占星術 )の賢者に占わせても同じことを言うので、(皇子を臣籍にうつし)源氏の姓を与えることに決められた。

 (13)年月がたつほど、(帝は) 御息所(更衣)のことを忘れられることがない。お慰めしようと、それ相応の人たちを参上させても、(更衣と)比べられる人さえいない世だと、すべてがいやになっていらっしゃったところに、先帝の四の宮で、顔だちがことのほか美しいと評判の、母后もそれ以上ないほど大切に育てていらっしゃる方を、帝に仕える典侍が、先帝の時の人で、母后の住居にも慣れ親しんでいたので、(四の宮を)幼少の時から見かけ、今もちらっと見ることができて、
「お亡くなりになった御息所のお顔に似ている方を、三代の帝にお仕えしていて、見たこともなかったのですが、后の宮の姫宮だけはたいへんよく似て成長されています。またとなく美しい人で」
 と申し上げると、(帝は)ほんとうかと心をとめられて、熱心に(入内を)要請されるのだった。  
 母后は、
「まあ恐ろしい、東宮の母女御がひどく意地が悪くて、桐壺の更衣が露骨にないがしろにされた例もあって忌まわしいのに」
 とためらっては、いさぎよく思い立たれなかったうちに、母后も亡くなられてしまった。(姫宮が)心細くしておられるので、(帝は)
「ただ、わたしの皇女たちと同じようにお世話しよう」
 と熱心に要請される。(姫宮に)仕えている女房たち、後見人たち、兄の兵部卿の親王などは、このように心細くしているより、宮中で暮らせば、寂しさも紛れるにちがいないと考えられて、入内させられる。藤壺と言われる。ほんとうに容貌や姿が不思議なほど(更衣に)似ていらっしゃる。この方は、身分も高く、そう思って見るせいか素晴らしく、だれもさげすむことができないから、気がねすることもなく不足もない。更衣は、だれも認めようとしなかったのに、帝の寵愛が憎くなるほど深すぎたのである。(帝は)思いが紛れるというわけではないが、(藤壺に)しぜんと心が移って、こよなく気持ちが慰められていくのも、自然の情である。

 (14)源氏の君は、(帝の)そばを離れられないので、(帝が)しきりに通われるお方(藤壺)はなおさら隠れてばかりはいられなく、どの后も、「じぶんは人より劣ってる」と思われることがあるだろうか? それぞれにとても華やかだけれど、若い盛りを過ぎているのにくらべ、(藤壺は)ほんとうに若く可愛らしく、しきりに顔を隠されるが、(源氏の君は)その自然にもれた表情をのぞかれる。母御息所の、面影さえもおぼえていないのに、
「大変よく似ていらっしゃる」
 と典侍が言ったのを、幼心にとても懐かしく思われていて、いつもそばにいて、溺れるほど見ていたいと思われる。  
 上(帝)にとっても、(源氏と藤壺は)この上なく寵愛をそそぐ者同士なので、(藤壺に)
「(源氏の君に)よそよそしくしないでください。不思議なほど(更衣と)似ている気がします。(源氏の君が慣れ親しむのを)ぶしつけだと思わないで、かわいがってやってください。(更衣と源氏の君は)顔つきや、目もともほんとによく似ていたから、(源氏の君があなたを)母のように慕ってもおかしくはないのです」
 と頼み込まれるので、(源氏の君は)幼心にも、ちょっとした春の花や秋の紅葉にかこつけて「恋しさ」を見せられる。こよなく好意を寄せられるので、弘徽殿女御は、また、この藤壺の宮とも険悪な仲で、それに加えて、前からの憎しみが燃え上がって不快に思われていた。(弘徽殿女御が)この世にまたとないと見立てて、名高い東宮の顔立ちにくらべても、(源氏の君は)なんといってもつややかな美しさはたとえようがなく、愛らしいので、世の人は「光る君」と言う。藤壺も肩を並べて、帝の寵愛もそれぞれに厚いので、「輝く日の宮」と言われる。  

 (15)(帝は)この君の童姿を、とても変えづらく思われていたが、十二歳で元服される。(帝は)率先してお世話され、定まった儀式にそれ以上のことを付け加えられる。先年の東宮の元服、南殿で行われた立派で評判だった儀式にもひけをとらない。所々の祝宴なども、内蔵寮や、穀倉院などが、規定どおりにしては、粗略なことにもなりかねないと、特別の指図があって善美を尽くして奉仕された。  
 (帝の)いらっしゃる清涼殿の東の廂の間に、東向きに椅子をすえて、冠者(源氏)の席と、加冠役の大臣の席とが御前にある。申の時(午後四時頃)に源氏が参上される。角髪(みずら)に結われた顔つき、顔のつややかさ、髪型や服装を変えてしまわれるのは惜しい。大蔵卿が理髪役を勤められる。とても美しい御髪をそぐとき痛々しそうなのを、上(帝)は、〈御息所が見ていたら〉と思い出され、耐え難い気持ちを気を強くしてこらえていらっしゃる。  
 加冠の儀が終わって、休息所に退出されて、装束を召し替えて、東庭に降りて拝舞される様子に、人々はみな感涙される。帝は、帝で、誰にもましてこらえきれなくて、思い忘れることもあった昔(更衣)のことを、あらためて悲しく思われる。こんなふうに幼少では、髪上げをしたら見劣りしないかと心配されていたが、あきれてしまうほど美しさがいっそう加わった。
 加冠役の大臣が、皇女である北の方(桐壺帝の妹)との間の一人で大切に育てられている娘を、東宮からも申し出があったのを、決心しかねていらしたのは、この君(源氏)にさしあげようという心づもりがあったからだ。帝からも、内意をいただいていたから、
「それならば、この元服の際の後見もないようだから、添臥(添い寝)にでも」
 と促されたので、(大臣は)そのつもりになった。
 休息所に退出されて、人々が帝からのお祝いの酒を飲んでいらっしゃるとき、親王たちの末席に源氏の君は着席された。大臣はそれとなくほのめかされるが、気恥ずかしい年ごろなので、どうとも答えられない。
 御前から、内侍が、宣旨を承って伝えて、大臣に御前に参上するようにとのお言葉があったので、参上される。褒美の下賜品を、帝つきの命婦が取次いで賜る。白い大袿に御衣(おおんぞ[表衣・下襲・表袴])一揃い、慣例のとおりである。(帝から)盃を賜ったついでに、

いときなき はつもとゆひに 長き世を ちぎる心は 結びこめつや
(幼子のはじめての元結に末永い愛を約束する気持ちはこめたのか)

 (帝の)ご意向があってはっとさせられる。

結びつる 心も深き もとゆひに 濃きむらさきの 色しあせずは
(深い心を結んだ元結ですから、その濃い紫の色[源氏の心]が褪せないかぎりは)

 とお答えして、長橋から東庭に降りて拝舞される。左馬寮(ひだりのつかさ)の馬と、蔵人所の鷹を手にすえて頂戴される。御階(みはし[階段])のところには、親王たち、上達部が立ち並んで、禄をそれぞれ身分に応じて頂戴される。
 その日の御前の折櫃物(おりびつもの)や、籠物(こもの[柑・橘・栗・柿・梨])などは、右大弁が承って調えさせたものだった。屯食(とんじき[卵形に握った強飯])や禄の入った唐櫃(からびつ)などは、置き場もないくらいで、東宮の元服の時よりも数が多く、かえってこの上もなく盛大だった。
 その夜、大臣の邸に源氏の君を退出させられた。婿として迎える儀式には珍しいほど整えて丁重にもてなされる。(源氏が)たいそううら若いので、(大臣は)ぞっとするほど美しく可愛らしいと思っておられた。女君が、少し年上(十六歳)なので、(源氏の君は)とても若いので、似合わなく恥ずかしいと思っていらっしゃった。

 (16)この大臣は帝の信任がとても厚い上に、母宮が、帝と同じ母から生まれた妹であったので、どちらにしてもとても華やかな系譜なのに、この君までが加われたのだから、東宮の祖父で、将来は国政を掌握されるはずの右大臣の威勢は、ものの数でもなくけおとされてしまった。(左大臣は)お子様たちを何人もの夫人にもうけていらっしゃる。母宮がお生みになったのは、蔵人少将でとても若々しくて心惹かれるものがあり、右大臣との、仲はあまりよくないけど、(右大臣は)見過ごすわけにはいかないで、大事に育てられた四の宮(弘徽殿女御の妹)と結婚をさせられたが、(右大臣が左大臣に)負けないよう丁重にお世話されているのは、理想的な婿舅の関係である。

 (17)源氏の君は、上(帝)がいつもそばにおいて離されないので、のんびりと左大臣邸で過ごすこともできない。心の中では、ただ、藤壺の姿が類なく思われて、〈ああいう人こそ妻にしたい、似ている人もいないほど美しい、左大臣家の姫君は、たいへん立派に大切に育てられた人だ〉とは思われるけど、心にそぐわないものを感じられて、幼いだけに(藤壺を)一途に思いつめられて、苦しいほどである。
 元服なさってから後は、(帝も)今までのように、御簾の中にもお入れにならないので、管弦の遊びの時々、(藤壺の)琴に(源氏が)笛を吹いて心を通わせ、かすかな(藤壺の)声を慰めにして、宮中での生活だけを好ましく思われる。五、六日宮中に勤めて、左大臣家に二、三日というように、とぎれとぎれに退出されるけど、(左大臣は)〈今は、幼いのだから、咎めるほどでもない〉と思われて、(源氏を)丁重にお世話される。(源氏の君と姫君の)それぞれの女房たちは、世の中の並々ならぬ人たちを選りすぐって仕えさせられる。(源氏の君の)心にかなうような詩歌管弦の遊びをして、おそるおそる精一杯お世話される。
 宮中では、かつての母の淑景舎を(源氏の君の)部屋にあてて、母御息所に仕えていた女房たちを散り散りにならないようにそのまま仕えさせられる。(更衣の)里の邸は、修理職(すりしき)や内匠寮(たくみづかさ)に宣旨が下って、またとなく立派に造りかえられる。元の木立や、築山のたたずまいの風情があった所を、さらに池を広くして、大騒ぎして立派に造営している。(源氏は)〈このような所に、理想の人を妻に迎えて住んでみたい〉とばかり、胸が痛くなるほど思い続けていらっしゃる。
 「光る君」という名は、高麗人が称賛しておつけしたと言い伝えているということだ。
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