|
桐壺(きりつぼ)
(1)どの帝の御世(みよ)であったか、女御や更衣が大勢仕えていた中に、最高の身分ではない更衣で、とりわけ帝の寵愛をえている方がいらっしゃった。 はじめから
〈じぶんこそは〉
と思いあがっている女御たちは、(この更衣を)
〈目ざわりだ〉
とさげすみ嫉む。同じ身分、それより低い更衣たちはなおさら気がおさまらない。 (更衣は)朝夕の宮仕えで、人々を悔しがらせ、恨みをかうことが積もったせいか、とてもからだが弱って、心細く実家に帰りがちになるのを、(帝は)たまらなくふびんに思われて、他人の非難も気にされず、世の中の悪しき例にもなりかねないほどの格別な可愛がりようである。 上達部(かんだちめ)、殿上人なども目をそむけるほどの、まったく見てはいられない愛されかたである。
「唐土でも、こういうことが原因になって、世も乱れて悪くなった」
と、しだいに、世間でも、
〈困ったことだ〉
と人々の悩みの種となって、楊貴妃の例までも出されるようになっていくので、(更衣は)耐え難いことが多いけど、ありがたい帝のくらべものにならない愛情を頼りにお仕えしていらっしゃる。
(更衣の)父の大納言は亡くなって、母の北の方は旧家の出の教養ある人で、両親がそろっている、さしあたって世間の評判も華やかな方たちにもひけをとらないように、(宮中の)どのような儀式にも対処なさっていたけれど、これといったしっかりした後見人がいないものだから、事ある時は、やはり拠り所がなく心細いようである。
(2)前世の宿縁が深かったのだろうか、世にまたとない清らかな玉のような皇子までがお生まれになった。 (帝は)いつ会えるかと待ち遠しく思われて、急いで(皇子を)参内させてご覧になると、希少この上ない容貌である。第一の皇子は、右大臣の娘の女御から生まれて、後見もしっかりしていて、疑いもなく皇位継承の方と、世間でも大切にあつかっているが、この君の輝くような美しさには並びようもなかったので、(帝は)(第一の皇子は)ひととおり大切にされるだけで、この君のほうを、秘蔵っ子のように可愛がられること限りない。
(更衣は)はじめから並みの女官のようにおそば勤めをしなければならない身分ではなかった。世間の信望はとてもあつく、貴い人だったけど、(帝が)どうしようもなく一緒にいたいばかりに、管弦の遊びのつど、どんなことでも雅趣ある催しがあるたびに、真っ先にお呼びになる。時には、寝過ごされてそのまま引き止めておかれるなど、どうしてもそばから離されないので、しぜんと身分の軽い女房のように見えたが、この皇子がお生まれになってからは、(更衣を)特別に扱うように決められたから、
〈東宮にも、もしかすると、この皇子を立てらられるのではないか〉
と、第一の皇子の母女御は疑っている。(この方は)ほかの人より先に入内されて、(帝も)大切な方と思われていて、皇女(おんなみこ)たちもいらっしゃるので、この方の忠告だけはさすがにわずらわしく心苦しく思っていらっしゃる。
(更衣は)この上ない(帝の)庇護にすがっていらっしゃりながら、あら捜しをされる方も多く、じぶんは病弱で無力なので、愛されれば愛されるほど悩まれてしまう。
(更衣の)お部屋は桐壺である。(帝が)大勢の女御や更衣の部屋をたえず素通りされてしばしば桐壺へ行かれるので、女御たちがいらいらされるのももっともである。(更衣が)参上されるときも、あまり度重なるときは、打橋(うちはし)や、渡り廊下のあちこちの通り道に汚物などをまき散らして、送り迎えの女房たちの着物の裾を台無しにしてしまい、また、ある時には、どうしても通らなければならない廊下の戸を閉めて閉じ込め、こっちとあっちでしめし合わせて辱めたり困らせたりすることも多かった。
なにかと、数しれないほど辛いことばかり重なるので、(更衣が)ひどく思い悩んでいるのを(帝は)ますますふびんに思われて、後凉殿(こうろうでん)にもとから仕えていた人の部屋をほかに移させて、控えの間として更衣に与えられた。移された人の恨みはなおさら晴らしようもない。
(3)この皇子が三歳になられた年、袴着の儀式を、一の宮が着用されたものに劣らないように、内蔵寮(くらづかさ)、納殿(おさめどの)の財物をつくして盛大に行われる。
それにしても世間の非難ばかり多いけど、この皇子のだんだん成長なさってゆく顔立ちや気立てが世にもまれなものであったから、憎もうにも憎めない。「ものの心(情理)」を知っている方は、
〈こんな方がよくもこの世に生まれてこられたものだ〉
と、驚嘆している。
(4)その年の夏、御息所(更衣)が、ちょっとした病を患って、実家に帰ろうとされたが、(帝は)里下りもお許しにならない。ここ数年、病気がちだったので、(帝は)それを見慣れていて、
「もうしばらく様子をみては」
とおっしゃっているうちに、(更衣は)日に日に重くなって、わずか五、六日のうちにひどく弱ってくるので、(更衣の)母君が泣く泣くお願いして退出させられた。こうしたときにも、失態があってはと用心して、皇子は(宮中に)残して、人目につかないように退出される。
(宮中の)掟があることなので、(帝は)いつまでも引きとめておくこともできないし、見送ってあげることもできないもどかしさをどうしようもなく感じられる。とても華やかな美しい人が、すっかりやつれて、ひどく悲しみに沈んで、口に出して言うこともできないで、生死もわからないほど息も絶え絶えなのを(帝は)ご覧になると、過去も未来も真っ暗で、いろいろなことを泣く泣く約束されるが、(更衣は)返事もできないで、目つきもよほどだるそうで、ふだんよりいっそうなよなよして意識がもうろうとして寝ているので、(帝は)
〈どうしたらいいのだろう〉
と不安にかられる。退出の輦車(てぐるま)の宣旨(せんじ)などを伝えられても、また部屋に入られて退出させようとはなさらない。
「前世の宿縁で定められている死の旅も一緒にと約束されたではないか。わたしを残しては行けないよ」
とおっしゃるのを、女(更衣)もまったくそのとおりだと思って、
「かぎりとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり
(限りがあるけれど別れるなんて悲しい、ずっといっしょに生きていたい)
ほんとうにこんなことになることがわかっていたら」
と、息も絶え絶えに、言いたいこともありそうだけど、とても苦しそうでだるそうなので、(帝は)
〈このままで、とにかくなりゆきを見届けよう〉
と思われるが、(更衣の母君が)
「きょうから始める祈祷など、それなりの験者(げんざ)たちが承っていて、それが今夜から」
とせきたてるので、(帝は)しかたなく退出をお許しになる。
(帝は)胸がつまって、少しも眠れないで、夜を明かしかねていらっしゃる。見舞いの使者が行き来する時間でもないのに、しきりに気がかりな気持ちを漏らしていらっしゃったが、
「夜中過ぎに、お亡くなりになりました」
と言って里の者が泣き騒ぐので、使者も気を落として(宮中に)帰参した。知らせを聞かれた帝は気が転倒、どうすることもできなくなって、閉じこもっていらっしゃる。
(5)(帝は)皇子を、それでもご覧になっていたいけど、喪中に宮中にいることは前例のないことなので、退出ということになる。 (皇子は)なにが起こったかもわからないで、仕えている人々が泣き騒ぎ、帝も涙をとめどなく流していらっしゃるのを、不思議そうにながめていらっしゃるばかり。ただでさえ母との別れは悲しいものなのに、今はなおさら身にしみて哀れでなんとも言いようがない。
(6)(葬儀にも)定めがあるので、慣例どおりに葬っておあげになるのを、母北の方は、
「同じ煙になって天にのぼってしまいたい」
と泣き焦がれて、野辺送りの女房の車に追いかけるようにして乗られて、愛宕(おたぎ)という所で、厳粛な葬儀を行っているところへ、到着なさったときは、どんなお気持ちだったのだろう。
「むなしい亡骸を見ても、まだ生きているように思われてしかたがないので、灰になられるところを見届けて、今はもう亡くなった人だときっぱりとあきらめましょう」
と健気におっしゃっていたが、車から落ちそうなほど取り乱されるので、
〈やはり思っていたとおりだ〉
と、人々ももてあましている。
宮中から使者がある。(更衣に)三位の位を追贈(ついぞう)なさる旨、勅使が来て、その宣命(せんみょう)を読み上げるのは、悲しいことである。(帝は)女御とさえ言わせないでいたことが心に引っかかっていらっしゃったので、せめて一階級上の位でもと追贈されたのだった。それにつけても、(更衣を)憎まれる人々が多い。
「ものの心」を知る人は、姿やお顔が美しかったこと、気立てがおだやかで欠点がなく憎めなかったことなど、今となって思い出される。(帝の)見苦しいほどのご寵愛だったからこそ、冷淡に妬んだのだが、(更衣が)人柄がやさしく情愛が深かったのを、(帝の)おそば勤めの女房たちも恋しく思っている。
「なくてぞ(人は恋しかりける)」
とは、こんな時のことをいうのだと思われた。
(7)いつのまにか日数が過ぎて、(帝は)七日七日の法要などにも心をつくして弔問される。時がたつほどに、どうしようもなく悲しくなるので、女御・更衣たちの宿直(とのい 夜の奉仕)などもさせられず、ただ涙にくれて過ごしていらっしゃるので、見ている者までが涙がちになる秋である。
「亡くなった後も、あきれるほどの寵愛ぶりね」
と、弘徽殿女御(こきでんのにょうご)などは、相変わらず容赦なくおっしゃる。(帝は)一の宮をご覧になっても、若宮の恋しさばかりが思い出されて、気心のしれた女房、乳母などをつかわして(若宮の)様子をお尋ねになる。
(8)野分のような風が吹いて、急に肌寒さを感じる夕暮れのころ、(帝は)いつもより思い出されることが多くて、靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)という女房を(更衣の里に)遣わされる。
夕月の美しいころに出立させて、(帝は)そのままぼんやりと物思いにふけっていらっしゃる。このようなときには、管弦の遊びなどされたが、(更衣は)きわだって上手な琴の音をかき鳴らし、ふともらされる言葉も、ほかの人とはちがっていた雰囲気や容貌が、幻となってそのままずっと寄り添っているようにお感じになっても、(うばたまの 闇の現は さだかなる 夢にいくらも まさらざりけり〔古今集〕)と詠まれた「闇の現実」にもやはり及ばない。
命婦は、更衣の里に到着し、車を門内に引き入れるなり 寂しさがただよっている。(母君は)やもめ暮らしだが、一人娘のために、あれこれと手入れして、みすぼらしくないように過ごしていらっしゃったが、悲しみで途方にくれて寝込んでるうちに、草も伸びて、野分でいっそう荒れた感じになって、月の光だけが、生い茂った雑草にもさえぎられることなく射し込んでいる。
(命婦を)南に面した部屋(表座敷)に迎えて、母君もすぐには何もおっしゃれない。
「今まで生きているのもとても辛いのに、このようなもったいないお使いが草深い家の露をわけてお越しになられると、恥ずかしくてなりません」
と、こらえきれないほど激しく泣かれる。(命婦は)
「『訪ねてみると、ますます心苦しく、魂も消えてしまうよう』
と典侍(ないしのすけ)が(帝に)申し上げていましたが、わたしのような物をわきまえない者でも、ほんとうに耐えがたい気持ちがします」
と言って、しばらく気持ちを落ち着かせてから、(帝の)お言葉を伝える。
「『しばらくの間は夢だとばかり思っていたが、だんだんと気持ちが落ち着くにつれて、かえって(夢ではないから)覚めるはずがない耐え難さを、どうしたらいいのかと それを相談できる人もいないから、目立たないように来てはいただけないか。若宮が、とても気がかりで涙がちの里で暮らしているのもかわいそうだから、早くお越しください』
などと、はきはきと最後までおっしゃれないで 涙に咽びながらも、一方では、まわりの人も気が弱いと見るのではないかと、悲しみを隠されないでもない様子がいたわしくて、お言葉を最後までお聞きしてはいられないような状態で退出し こちらへ参りました」
と言って(帝の)お手紙をさし上げる。(母君は)
「目も見えませんが、このような畏れ多いお言葉を光としまして」 と言って(母君は)ご覧になる。
「時がたてば少しは紛れることもあるだろうと心待ちに過ごす月日がたつにつれて、悲しみが深くなっていくのをどうすることもできないのです。幼い人がどうしているかと心配しながら、あなたと一緒に育ててやれないのが気がかりです。今は、やはり、(わたしを)更衣の形見と思ってお越しください」
などと細かく書いていらっしゃる。
宮城野の 露吹きむすぶ 風の音(おと)に 小萩がもとを 思ひこそやれ
(宮中の涙をそそる風の音に、若宮のことが偲ばれる) とあるが、(母君は)とても最後までご覧になれない。
「長生きがほんとに辛いことと思い知らされるにつけても、(あの長寿を恥じる)高砂の松がどう思うかとそれだけでも恥ずかしく思われますのに、宮中にお出入りすることなど、なおさら、ご遠慮すべきことと思われます。畏れ多い(帝の)お言葉をたびたび承りながら、わたし自身としては(参内しようとは)とても思えません。若宮は、どこまでおわかりでいらっしゃるのか、参内なさることばかりお急ぎのようですから、それももっともなことだと悲しく拝見しています、このようなわたしが内々に思っていますことを(帝に)申し上げてください。(娘に先立たれる)不吉な身ですから、(若宮が)このままいらっしゃるのも、忌まわしく畏れ多いことで」
とおっしゃる。
若宮はおやすみになってしまわれた。(命婦は)
「(若宮を)拝見して、詳しくご様子を申し上げたいのですが、(帝が)お待ちですし、夜も更けますので」
と言って(帰りを)急ぐ。(母君は)
「子を亡くした母親の耐え難い悲しみの一端だけでも、晴らしたいと思っていますので、公の使者ではなくゆっくりとお越しくださいませ。以前は、うれしく晴れがましいことでお立ち寄りいただきましたのに、このような悲しいことで(あなた様と)お会いするとは、つくづく心のままにならないわたしの命です。(更衣は)生まれた時から格別な思いをかけた子でして、故大納言が、臨終の際まで、ひたすら、
『この人の宮仕えの念願を、必ず遂げさせてくれ。わたしが亡くなったとしても、落胆して志を捨ててはならない』
と、くり返し念を押されたので、しっかりした後見人もいない宮仕えは、できるならしないほうがいいと思いながらも、ただこの遺言を守りたいばかりに出仕させたのを、過分なほどの(帝の)ご寵愛を受けてなにかにつけてもったいなく、(そのために)人並みにあつかわれないような恥を隠しながら宮仕えをしていたようですが、人様の妬みが深く積もって、気苦労が多くなっていき、横死(おうし)のような状態で、ついにこうなってしまったのですから、畏れ多い帝のご寵愛が、かえってつらく思われます。こんなことを言うのも子を思うどうしようもない悲しみのせいで」
と言い終わらないで涙でむせかえってるうちに夜も更けた。(命婦は)
「帝も同じような思いです。
『じぶんの心からとはいえ、むやみに人が見て驚くほど(更衣を)愛してしまったのも、 〈(前世の宿縁で)長くは一緒にいられない〉 と思っていたからで、今となっては辛い前世の宿縁だった。じぶんは少しも世間の人を歪めたりしたことはなかったと思うが、ただこの更衣のためにだけ、多くの人から負わなくてもいい恨みを負ったあげく、こうしてじぶんだけが後に残されて、気持ちを静めることもできなく、ますます外聞も悪く偏屈になってしまうのも(前世の宿縁がさせることだと思うと)(あの人とじぶんとの)前世の宿縁はどうなっていたのか知りたい』
と繰り返しおっしゃっては、いつも涙を流していらっしゃいます」
と語って話も尽きない。(命婦は)泣く泣く、
「夜もすっかり更けましたので、今夜のうちにお返事を申し上げましょう」
と急いで帰参する。
月は沈みかける頃で、空が美しく澄みわたって、風がとても涼しくなって、草むらの虫の声々が涙を誘うように聞こえるのも、とても立ち去りがたい草の宿である。
鈴虫の 声のかぎりを 尽くしても 長き夜あかず ふる涙かな
(鈴虫のように声のかぎり泣いても、秋の夜長も明けないほどこぼれる涙です)
(命婦は)とても車に乗れない。(母君は)
いとどしく 虫の音しげき 浅茅生(あさじふ)に 露おきそふる 雲の上人
(しきりに虫の鳴くわび住まいに、いっそう涙をもたらす宮中のお使者でいらっしゃいます)
愚痴も言いたくなりまして」
と(女房に)取次ぎをさせて伝えられる。 華美な贈物などするときではないので、ただ亡き人の形見として、
〈このような用もあるだろう〉
と残しておかれた衣装一揃い、御髪上(みぐしあげ)の道具のようなものを添えられる。 若い女房たちが、悲しいことはいまさら言うまでもなく、宮中の生活になれているので、(里での生活は)とても寂しく、帝のご様子などを思い出すと、(若宮に)早く参内なさるようにと勧めているが、(祖母君は)こんな忌まわしい身が付き添うのもじっさい世間体が悪いし、そうかといって、(若宮を)見ないで過ごすのも、気がかりに思われて、(若宮を)すぐに参内させてあげることもできなかった。
(9)命婦は、
〈まだ(帝は)おやすみではなかったのだ〉
と、しみじみとお気の毒に思う。(帝は)お前の中庭の植え込みがとても美しく盛りなのをご覧になるようにして、ひっそりと、たしなみのある女房四、五人をそばにおいて、話をしていらっしゃった。 このごろ、明けても暮れてもご覧になる長恨歌(ちょうごんか)の絵、それは亭子院(ていしのいん 宇多上皇)が描かせて、伊勢や、貫之に詠ませたものだが、和歌も、漢詩も、もっぱらこういう関係のことを話題にされている。 (帝は)とてもこまごまと(更衣の里の)様子をお尋ねになる。(命婦は)身につまされたことをひっそりと申し上げる。(帝は)(母君の)返書をご覧になると、(手紙には)
「とても恐縮に思われまして、身の置き所もございません。このようなお言葉を戴くにつけても、心も真っ暗に思い乱れるばかりでございます。
あらき風 ふせぎしかげの 枯れしより 小萩がうへぞ 静心なき
(荒い風を防いでいた親木〔更衣〕が枯れてしまって、残された小萩〔若宮〕が心配でなりません)
(帝は)(母君の手紙が)このように(悲しみに)取り乱し過ぎているのを、
〈気持ちがまだ静まらないときだから〉
と大目に見られるだろう。 (帝は)
〈悲しみにうちひしがれた姿は見せないようにしよう〉
と気持ちをおさえようとなさるが、とてもこらえきれない。(更衣が)はじめて入内した時のことまでがあれこれと思い出されて、
〈(更衣なしでは)片時も不安だったのに、それでも月日は過ぎてゆくものだ〉
と驚きあきれた気持ちで思われる。
「亡くなった大納言の遺言に背かず、宮仕えの本意をまっとうしたお礼には、そのかいがあるようにと思っていたが、もうなにを言ってもしょうがない」
と思わずおっしゃって、(母君を)とても気の毒に思われる。
「それでも、しぜんと、若宮が成長したら、(母君に)報いることもあるだろう。長生きしてその時まで辛抱してほしい」
などとおっしゃる。 (命婦は)(母君からの)贈物をご覧にいれる。(帝が)
〈これが亡き人の住家を捜してきた証拠の(楊貴妃の)かんざしであったなら〉
と思われても無駄である。
たづねゆく まぼろしもがな つてにても 魂(たま)のありかを そこと知るべく
(捜しにいく幻術士がいてほしい、そうすれば人づてにでも[更衣の]魂のありかを知ることができるのに)
絵に描いてある楊貴妃の容貌は、優れた絵師でも、筆力には限界があるから生き生きとした美しさに乏しい。(長恨歌に詠われている)大液ノ芙蓉(たいえきのふよう 漢の武帝の造った池の蓮の花―顔)にも、未央ノ柳(びおうのやなぎ 漢の高祖のとき、蕭何の造った宮殿の柳―眉)にも、なるほどそっくりの楊貴妃の容貌で、唐風の装いは端麗だったろうが、(更衣が)優しくかわいらしかったことを思い出されると、花の色にも鳥の声にもたとえようがない。朝夕の口ぐせに、
「比翼の鳥、連理の枝になろう(一心同体)」
と誓ったのに、かなえられなかった命の短さが(帝は)限りなく恨めしい。
風の音、虫の音にも、(帝は)無性に悲しくなられるのに、弘徽殿女御は、久しく上の控え場所にも上がられず、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをしていらっしゃるようである。(帝は)
〈あてつけがましい〉
と不快に思われる。このごろの(帝の)様子を知っている殿上人や、女房などは、はらはらして聞いている。(弘徽殿女御は)我が強く意地っ張りなお方で、(帝の嘆きなど)
〈たいしたことない〉
と無視していらっしゃるのだろう。
月も沈んだ。
雲のうへも 涙にくるる 秋の月 いかですむらん 浅茅生(あさじふ)の宿
(宮中でさえ涙にくもってよく見えない秋の月、まして亡くなった更衣の里では澄んで見えることはないだろう)
(帝は)(若宮を)思いやりながら、灯火の油が尽きるまで起きていらっしゃる。右近衛府(うこんえふ)の役人の宿直奏(とのいもうし 姓名を名のる)の声が聞こえるのは、丑の時(午前一時)になったのだろう。人目を気にして寝所に入られても、眠ることもできない。朝起きても、
〈(更衣と一緒のときは)夜の明けるのもわからないで寝ていたのに〉
と思い出され、やはり朝の政務は怠ってしまわれるようである。食事もとろうとなさらないで、朝餉(あさがれい 簡単な食事)を形ばかり箸をつけられて、正式の食膳には、見向きもされないので、給仕の人たちは、(帝の)お気の毒な様子を拝見してため息をつく。すべて、おそばで仕える人たちは、男も女も、
「まったくどうしようもない」
と言い合ってはため息をつく。
「こうなる前世からの宿縁があったのだろう。多くの人の非難や、恨みも気にされないで、あの更衣のこととなると、道理も失ってしまわれ、今は、今で、このように政務まで放棄してしまうようになっていかれるのは、はなはだ不都合なことである」
と異朝の例まで出して、ひそひそと話し合ってため息をついている。
(10)月日がたって、若宮が参内された。ますますこの世のものとは思えない気品ある美しさに成長されているので、(帝は)ただならないものをお感じになった。 翌年の春、東宮が決まるときにも、
〈(第一の皇子を)飛び越えてこの若宮を〉
と思われるが、有力な後見人もなく、また、世間も承知しそうもないことなので、かえって危険を感じて不安に思われ、(このことは)そぶりにもだされなかったから、
「あれほど特別に思っていらっしゃってもやはり限度というものが」
と世間も噂し、弘徽殿女御も安堵された。
あの(若宮の)祖母の北の方は、心を静めようもなく悲嘆にうちしおれて、
〈(更衣の)いる所へ行きたい〉
と願っていらっしゃったせいか、とうとう亡くなってしまわれたので、(帝は)また、このことをこの上なく悲しまれる。若宮は六つになられる年であるから、今度はよくおわかりになって(祖母君を)恋い慕って泣かれる。(祖母君は)
〈長年慣れ親しんできたのに、(若宮を)後に残して行くのが悲しい〉
と、何度も何度もおっしゃっていた。
(11)(若宮は)今は(宮中で)帝のそばにばかりいらっしゃる。七つになられたので読書始め(ふみはじめ 漢籍の読み)などをさせられると、世に類がないほど聡明で賢くいらっしゃるから、(帝は)そら恐ろしく思われる。
「今となっては、だれも憎むことはできない。母君がいないのだから可愛がってください」
とおっしゃって、弘徽殿などにも連れて行かれ、そのまま御簾の中にも入れてあげられる。(若宮は)恐ろしい武士や、敵であっても、見ているとつい微笑んでしまうような様子をしていらっしゃるので、(弘徽殿女御も)遠ざけることもできない。皇女たち二人が、(弘徽殿女御には)いらっしゃるが、(若宮と)肩を並べることさえできない。女御や更衣たちも顔を隠したりしないで、(若宮が)この年頃からみずみずしい新鮮な美しさでこっちが恥ずかしくなるほどのご様子なので、
〈とてもおもしろく 気後れするほどの遊び相手だ〉
とだれもが思っていらっしゃる。 正式の学問(漢学)は言うまでもなく、琴や笛の演奏(遊芸)にも宮中の人々を驚かせ、それを一つ一つ数え上げていくと、大げさすぎて嫌になってしまうほどのご様子である。
(12)その頃、高麗人(こまうど)の来朝した中に、優れた人相見がいることを(帝は)聞かれて、宮中に呼ぶことは宇多の帝の戒めがあるので、特に内密にしてこの若宮を鴻臚館(こうろかん)に行かせられた。後見役をしている右大弁の子ということにして連れて行くと、人相見は驚いて、何度も首をかしげて不思議がる。
「国の親となって、帝王という最高の位にのぼる相がおありの方だか、しかしそういう方として見ると、国が乱れ民も苦しむことになるかもしれない。宮廷の柱石となって、この世の政治を補佐する方かと見ると、そういう相でもないようです」
と言う。
右大弁も、漢学の教養のとても深い方で、(高麗人と)語り合った話はとても興味深かった。漢詩なども作りあって、(高麗人が)今日明日にも帰国しようという時、このような世にも稀な人である若宮に対面した喜び、それだけにかえって別れが悲しいという気持ちをおもしろく詩にしたところ、若宮もとても感慨深い詩を作られたので、(高麗人も)この上なく褒めたてて、立派な贈物の数々を献上される。朝廷からも多くの品々を与えられる。しぜんとこのことが世間に広まって、(帝は)お漏らしにはならないが、東宮の祖父大臣などは、
〈一体どういうことなのか〉
と危ぶんでいらっしゃった。
帝は、畏れ多いお心から、日本の人相見にも命じてご存じのことだったので、今までこの若宮を親王にもされなかったが、
〈(高麗人の)人相見はほんとうに賢かった〉
と思われて、
〈(若宮を)(位のない)無品(むほん)の親王で母方の親戚の後見人もないといった境遇にはさせたくない、自分の治世もいつまで続くかわからないのだから、臣下として朝廷の補佐役をするのが将来も安心だ〉
とお決めになって、ますます多方面の学問をお習わせになる。(若宮は)格段に賢くて、臣下にするには惜しいが、親王にすれば世間の疑惑をこうむることになるし、宿曜(占星術)の賢者に占わせても同じことを言うので、(皇子を臣籍に下ろして)源氏の姓を与えることに決められた。
(13)年月がたつほど、(帝は) 御息所(更衣)のことをお忘れになる時がない。
〈少しは心が慰むだろう〉
と、それ相応の人たちをお呼びになるが、
〈(更衣と)比べられる人さえいない〉
と、世の中がすべてが嫌になっていらっしゃったところに、先の帝の四の宮で、お顔だちがことのほか美しいと評判の、母后もこの上なく大切に育てていらっしゃる方を、帝に仕えている典侍(ないしのすけ)は、先の帝の時から仕えている人で、母后の御殿にも親しく出入りしていたので、(四の宮を)ご幼少の時から拝見していて、今もちらっと拝見して、
「お亡くなりになった御息所(更衣)にお顔が似ていらっしゃる方を、三代の帝にお仕えしてして、お見かけすることができなかったのですが、この后の宮の姫宮だけはとてもよく似たお姿でご成人なさっています。世にもまれな美しい方で」
と申し上げると、(帝は)
〈ほんとうだろうか〉
と心をとめられて、丁重に(入内を)要請された。
母后は、
「まあ恐ろしい、東宮の母女御がひどく意地が悪くて、桐壺の更衣が露骨にないがしろにされた例もあって忌まわしいのに」
と慎重に考えられて、すぐにはご決心がつかなかったうちに、母后もお亡くなりになった。(四の宮が)心細くしていらっしゃるので、(帝は)
「ただ、わたしの皇女たちと同じようにお世話しよう」
と熱心に要請される。(四の宮に)仕えている女房たち、後見人たち、兄の兵部卿宮なども、
〈このように心細くしているより、宮中で暮らせば、寂しさも紛れるにちがいない〉
と思われて、(四の宮を)入内させられる。藤壺と申し上げる。ほんとうに容貌や姿が不思議なほど(更衣に)似ていらっしゃる。この(藤壺という)方は、身分も高く、そう思って見るせいかとても素晴らしく、どなたも蔑むことはできないから、なんの気がねもなく何一つ不足もない。(それに比べ)更衣は、だれも認めようとはしなかったのに、帝の寵愛が憎くなるほど深すぎたのである。(帝は)思いが紛れるというわけではないが、(藤壺に)しぜんと心が移って、こよなく気持ちが慰められていくのも、自然の情である。
(14)源氏の君は、(帝の)おそばから離れられないので、(帝が時々通われる方もそうだが)しきりに通われるお方(藤壺)はなおさら恥ずかしがって隠れてばかりはいらっしゃれない、どの后も、じぶんが人より劣っていると思っていらっしゃる方がいるだろうか、それぞれにおきれいだが、若い盛りを過ぎていらっしゃるのに対し、(この藤壺は)とても若く可愛らしく、ひたすら隠れていらっしゃるが、(源氏の君は)自然にもれて見える(藤壺の)お姿をご覧になる。(源氏の君は)母御息所(更衣)の、面影さえもおぼえていらっしゃらないが、
「(お母様に)大変よく似ていらっしゃいます」
と典侍が申し上げたのを、子供心にしみじみと心にしみて聞いていらっしゃって、いつも(藤壺のおそばへ)行きたくて、
〈(あの方と)親しくなってずっと見ていたい〉
と思っていらっしゃる。
帝にとっても、(源氏の君と藤壺は)この上なく大切な方なので、(藤壺に)
「(源氏の君に)よそよそしくしないでください。(あなたとこの子の母親とは)不思議なほど似ているような気がします。(この子が親しくするのを)失礼とは思わないで、かわいがってやってください。(亡くなった更衣の)顔つきや、目もとなどは(あなたに)ほんとによく似ていましたから、(あなたが)母親のように見えてもおかしくはないのです」
などと頼まれるので、(源氏の君は)子供心に(藤壺に)、ちょっとした春の花や秋の紅葉につけてお慕いしている気持ちを(歌に託して)示される。(源氏の君が)格別に好意をお寄せになるので、弘徽殿女御は、また、この(藤壺の)宮とも仲が悪いので、これに加えて、以前からの憎しみもよみがえってきて、
〈不愉快だ〉
と思っていらっしゃる。(帝が)この世にまたとないとご覧になって、(美しいと)名高い(藤壺の)宮の姿かたちにくらべても、(源氏の君の)つややかな美しさはたとえようもなく、愛らしいので、世の人は(この方を)
「光る君」
と申し上げる。藤壺の宮はこの君とお並びになって、帝の寵愛もそれぞれに深いので、
「輝く日の宮」
と申し上げる。
(15)(帝は)この(光る)君の童姿を、
〈変えたくない〉
と思われるが、十二歳で元服なさる。(帝は)率先してあれこれお世話され、定まった儀式にそれ以上のことを付け加えられる。先年の東宮の元服、南殿(なでん)で行われた立派で評判だった儀式にも劣らないようにとり行われる。所々の祝宴なども、内蔵寮(くらづかさ)や、穀倉院(こくそういん)などが、
「規定どおりにしては、粗略なことにもなりかねない」
と、特別の指図があって善美を尽くしてご奉仕なさった。
(帝が)いらっしゃる清涼殿の東の廂の間に、東向きに椅子をすえて、冠者(かんざ 源氏の君)の席と、加冠役の大臣の席とが(帝の席の)前にある。申の時(午後四時頃)に源氏の君がいらっしゃる。角髪(みずら)に結っていらっしゃる顔つきの、美しいこと、(その姿を)変えてしまわれるのは惜しい。大蔵卿が理髪役をお勤めになる。とても美しい御髪(みぐし)をそぐときに痛々しそうだが、帝は、
〈御息所が(生きていて)見たらなあ〉
と思い出され、耐え難い気持ちになられるのを気を強くしてこらえていらっしゃる。
加冠の儀式を終えて、休息所に退出されて、装束を着替えて、東庭に降りて拝舞される様子に、人々はみな涙をこぼされた。帝は、帝で、いっそうこらえきれなくて、思い忘れることもあった昔(更衣)のことを、あらためて悲しく思われる。こんなふうに幼くては、
〈髪上げをしたら美しさがなくなるのでは〉
と心配していらっしゃたが、あきれてしまうほどいっそう美しさが増した。
加冠役の大臣と、皇女である北の方(桐壺帝の妹)との間に生まれて たった一人大切に育てていらっしゃる娘を、東宮からも申し出があったのを、(大臣が)決心しかねていらっしゃったのは、この(源氏の)君にさしあげようという気持ちがあったからである。帝にも、この気持ちを内々に申し上げたところ、
「それでは、(源氏には)(確かな)後見役がないようだから元服したときの、添臥(そいぶし 添い寝)にでも」
とお促しになったので、(大臣は)そのようにしようと思われた。
(源氏の君は)休息所に退出されて、人々が帝からのお祝いのお酒などを飲んでいらっしゃるときに、親王たちの末席に着席された。大臣は(姫君のことを)それとなくほのめかされるが、気恥ずかしい年ごろ(の源氏の君)なので、どうとも答えられない。
帝のお言葉を、内侍(ないし)が、承って伝えて、大臣に御前に参上するようにとのお呼びがあったので、参上される。(大臣への)褒美の品を、帝づきの命婦が取次いで贈られる。白い大袿(おおうちぎ)に御衣(おおんぞ[表衣・下襲・表袴])一揃い、慣例のとおりである。(帝から)盃を賜ったついでに、
いときなき はつもとゆひに 長き世を ちぎる心は 結びこめつや
(幼子のはじめての元結に 娘との末永い愛を約束する気持ちはこめたのか)
(帝としての)お考えがあって(大臣に)念を押される。
結びつる 心も深き もとゆひに 濃きむらさきの 色しあせずは
(おっしゃるとおり 深い心を結んだ元結ですから、その濃い紫の色[源氏の心]が褪せないなら どんなに嬉しいことでしょう)
とお答えして、渡り廊下から東庭に降りて拝舞される。左馬寮(ひだりのつかさ)の馬と、蔵人所(くろうどどころ)の鷹を手にすえて頂戴される。階段のところに、親王たち、上達部が並んでいて、それぞれ身分に応じて禄を頂戴される。 その日の御前の折櫃物(おりびつもの)や、籠物(こもの[柑・橘・栗・柿・梨])などは、右大弁が承って調えさせたものだった。屯食(とんじき[卵形に握った強飯])や禄の入った唐櫃(からびつ)などは、置き場もないくらいで、東宮の元服の時よりも数が多く、かえってこの上もなく盛大だった。
その夜、大臣の邸に源氏の君を退出させられる。(大臣の邸では)婿として迎える儀式には珍しいほどこの上なく丁重にもてなされる。(源氏の君が)とても若く初々しいので、(大臣は)
〈ぞっとするほど美しく可愛らしい〉
と思われた。女君が、少し年上(十六歳)でいらっしゃるので、(源氏の君は)とても若いので、似つかわしくなく
〈恥ずかしい〉
と思っていらっしゃる。
(16)この大臣は帝のご信任がとても厚い上に、母宮が、帝と同じ母から生まれた妹宮でいらっしゃるので、どちらから見てもとても華やかな系譜なのに、この(源氏の)君までが加われたのだから、東宮の祖父で、将来は国政を掌握されるはずの右大臣の威勢は、問題にもならないほど圧倒されていらっしゃる。(左大臣は)お子様たちを何人もの夫人にもうけていらっしゃる。(その中で)内親王さまがお生みになったのは、(今は)蔵人少将になっていて とても若々しくて心惹かれるものがあるので、右大臣は、(左大臣との)仲はあまりよくないが、(蔵人少将を)見過ごすことができず、大事に育てられた四の宮(弘徽殿女御の妹)と結婚させられたのだが、(源氏の君を大切にしていらっしゃる左大臣に)負けないように丁重にお世話なさっているのは、それぞれに理想的な婿舅の関係である。
(17)源氏の君は、帝がいつもそばにおいてお離しにならないので、のんびりと左大臣邸で過ごすこともできない。心の中では、ただ、藤壺のご様子を
〈ほかの人に比べようがない〉
とお慕いになって、
〈ああいう人こそ妻にしたい、似ている人もいない美しさだ〉
(と思っていらっしゃる)、左大臣家の姫君のほうは、
〈たいへん立派に大切に育てられた人だ〉
とは思われるが、心にそぐわないものを感じられて、幼いだけに(藤壺を)一途に思いつめていらっしゃって、苦しいほどである。
元服なさってからは、(帝も)今までのように、御簾の中にもお入れにならないので、(源氏の君は)管弦の遊びの時に、(藤壺の)琴に笛を吹いて心を通わせ、(御簾の中から漏れてくる)かすかな(藤壺の)声を慰めにして、宮中での生活だけを好ましく思っていらっしゃる。五、六日宮中にお勤めになって、左大臣家には二、三日というように、とぎれとぎれに退出なさるが、(左大臣は)
〈今は、まだ幼いのだから(そんな気持ちにもならないだろう)〉
と あえて(源氏の君が)悪いようにはとらないで、心を込めてお世話なさる。(源氏の君と姫君)それぞれに仕える女房たちは、世の中の並々ならぬ人たちを選りすぐってお仕えさせる。(源氏の君の)心にかなうような詩歌管弦の遊びをして、おそるおそる心を尽くしてお世話している。
宮中では、以前母の更衣が控え場所としていた淑景舎(しげいさ 桐壺)を(源氏の君の)部屋にあてて、母に仕えていた女房たちを散り散りにならないようにして 引き続き(源氏の君に)お仕えさせる。(更衣の)里の邸は、修理職(すりしき)や内匠寮(たくみづかさ)に(帝の)宣旨が下って、またとなく立派に改築される。立木や、築山(つきやま)のたたずまいはもともと風情のある所だったが、さらに池を広くして、大騒ぎして立派に造営している。(源氏の君は)
〈このような所に、理想の人を妻に迎えて住んでみたい〉
とばかり、胸が痛くなるほど思い続けていらっしゃる。
「光る君という名は、高麗人が称賛しておつけした」
と言い伝えているということだ。 |
|