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宿木(やどりぎ)
(1)その頃、藤壺と申し上げるのは、亡き左大臣殿の(娘で)女御になられたお方だが、帝がまだ東宮でいらっしゃった時、誰よりも先に入内なさったので、親しみを感じられ格別愛しく思われたようだが、その寵愛が(立后といった)形としてあらわれることもなく年月が経ち、(藤壺より後に入内なさった明石の)中宮には、皇子たちが大勢お生まれになり それぞれ成人していらっしゃるのに、(藤壺の女御は)そのような子宝にも恵まれず、ただ女宮お一人をお持ちになっていらっしゃるだけである。実に残念なことに中宮に圧倒されてしまったごじぶんの前世からの宿縁を情けなく思われるが
〈わたしの代わりに、せめてこの姫宮だけでも将来わたしの気持ちも晴れるように幸せな身の上にしてあげたい〉
と特別大切に育てていらっしゃる。(姫宮は)器量もとても美しいので、(父の)帝も可愛いと思っていらっしゃる。(明石の中宮がお生みになった)女一の宮を、(帝が)世に類いのない人として大切にしていらっしゃるので、(女二の宮は)世間一般の評判こそ(女一の宮には)及ばないが、内々の暮らしぶりは(女一の宮に)少しもひけをとることはなく、(藤壺女御の父の)左大臣のご威勢の盛んだった その余勢もそれほど衰えていないので、(女御は)生活上不安なことも特になく、お仕えする女房たちの身なりをはじめとして、気をゆるめることなく、季節に合わせて、趣向を凝らして調え、華やかに優雅に暮らしていらっしゃる。
(2)(女二の宮が)十四歳におなりになる年、(母の藤壺女御は)裳着(もぎ)のお祝いをしてあげようと、春から、そのことばかりに専念して準備をなさり、
〈すべて特別立派に〉
と用意なさる。(左大臣家に)昔から伝わっていた宝物などを、
〈こういう時こそ〉
と探し出しては、熱心に支度をしていらっしゃったのに、女御は、夏頃、物の怪にとりつかれて、あっけなく亡くなってしまわれた。
「なんとも言いようがないほど残念なこと」
と帝も嘆かれる。(女御は)情愛深く、人々がお慕いするお人柄だったので、 殿上人たちも、
「これからすっかり寂しくなることでしょう」
と(女御の死を)惜しんでいらっしゃる。(女御と)それほど関わりのない身分の女官までも、(女御を)懐かしく思わない者はいない。
(女二の)宮は、なおさら、まだお若いので心細く悲しく思い沈んでいらっしゃるが、(帝は)そのことを聞かれると、心苦しくかわいそうに思われたので、四十九日が過ぎるとすぐに人に知られないように(女二の宮を)宮中にお迎えになった。(帝は)毎日(女二の宮のお部屋に)行かれてお世話していらっしゃる。(女二の宮の)黒い喪服を着ていらっしゃる姿は、いっそう可愛らしく気品のある美しさは以前よりも勝っている。性質も大人びていて、母の女御よりももう少し慎み深く重々しいところは勝っていらっしゃるのを、(帝は)頼もしく思われるが、実際は、母女御の身内といっても、後見として頼りにできる伯父などといったしっかりした人もいない。わずかに大蔵卿や修理大夫(すりのかみ)などはいるが、女御とは母親が違う兄弟である。
〈格別に世間の信望が厚いわけでもなく、身分の高くない人を頼りにするのでは、女は辛いことが多いに違いない かわいそうだな〉
などと、帝お一人だけで心配しなければならないので気も休まらない。
(3)庭先の菊がすっかり色変わりはしていない盛りの頃、空の風情もしみじみと時雨れている時にも、(帝は)まず女二の宮のところへ行かれて、亡き女御のことなどをお話しになると、(女二の宮は)お返事なども、おっとりしているものの幼い感じもなくきちんとなさるので、(帝は)可愛らしく思っていらっしゃる。(帝は)
〈(姫宮の)このような良さをわかる人が、大切にお世話するというなら、(降嫁させても)不都合なことはないだろう〉
と、朱雀院が女三の宮を六条院(故源氏の君)にお譲りになった時の定めなどを思い出されると、
〈しばらくは、
「いやいや感心できない、(皇女が)結婚などなさらなくても」
などといった批判もあったが、(今では息子の)源中納言(薫)が誰よりも立派な様子であのようにお世話しているからこそ、母宮は昔の声望も衰えることなく、尊重されて暮らしていらっしゃるではないか、そうでなかったら、(恋愛などの)思いがけないことが起こって、しぜんと世間から軽んじられることがあったかもしれない〉
などと、ずっと思われて、
〈とにかく在位中に婿を決めておこう〉
と思われると、(父の朱雀院が女三の宮を源氏の君にお譲りしたように)ものの順序からいっても、(源氏の君の子である)中納言よりほかに、(婿に)ふさわしい人は、いない。
〈(中納言なら)女宮たちの横に並べても、なんら見劣りすることはないだろう、以前から想う人がいても、(あれなら結婚しても)(女二の宮を冷遇するような)外聞の悪いことはしないはずだ、(それにあれだって)いずれは本妻を決めないわけにはいかないから、ほかの人との縁談が決まらないうちに、女二の宮のことをほのめかしてみようか〉、
などと、(帝は)時々思われる。
(帝は)(女二の宮と)碁などをお打ちになる。日が暮れていくにつれて、時雨が風情を添えて、菊の花が夕明かりに映えているのをご覧になって、人を呼ばれて、
「今、殿上(てんじょう)の間には誰がいる」
とお尋ねになると、
「中務(なかつかさ)の親王(みこ)、上野(こうずけ)の親王、中納言源朝臣(みなもとのあそん 薫)が伺候しています」
と奏上する。
「 中納言の朝臣をここへ」
と(帝の)お言葉があって(中納言が)参上された。なるほど、このように特別にお呼びになるだけのことはあって、遠くから匂ってくる薫りをはじめとして、普通の人とは違う優れた容姿でいらっしゃる。
「今日の時雨は、いつもより特に静かだが、管弦の遊びなどは(喪中で)できないから、退屈でしょうがないが、なんとなく過ごすにはこれが一番いい」
とおっしゃって、(帝は)碁盤を持って来させて、(中納言を)碁の相手になさる。このように、おそば近くに呼び出されるはいつものことなので、
〈今日もそうだろう〉
と(中納言が)思っていると、
「よい賭物はあるはずだが、簡単には渡せないから、(ほかに)なにがいいだろう」
などとおっしゃる(帝の)表情が、(中納言には)どう見えたのだろう、いつもよりいっそう気をつかって控えていらっしゃる。
さて碁をお打ちになると、三番勝負で(帝は)一つ負け越された。(帝は)
「悔しいな」
と言われ、
「まず、今日は、この(菊の)花一枝を許す」
とおっしゃるので、(中納言は)返事もしないで、(すぐに)(庭に)下り風情ある枝を折って持ってこられた。
世のつねの 垣根ににほふ 花ならば 心のままに 折りて見ましを
(世間普通の垣根に咲いている花でしたら 思いのままに折って見るのですが)
と奏上なさった(歌には)、行き届いた心配りが感じられる。(帝は)
霜にあへず 枯れにし園の 菊なれど のこりの色は あせずもあるかな
(霜に耐えきれなくなって枯れてしまった園の菊[藤壺女御]だが 残された花の色[女二の宮]は色もあせず美しく咲いている)
とおっしゃる。 このように、(帝が)(女二の宮との縁談を)時々ほのめかされるのを直接、聞いていながら、(中納言は)例によって変わった性格なので、急いで受ける気にもならない。(中納言は)
〈いやもう、(女二の宮なんて)望んでもいない、いろいろと心苦しい人たち(中の君や六の君)との縁談も、うまく断って過ごしてきたのに、今さら(妻を持つなんて)世を捨てた聖(ひじり)が還俗するようなものだ〉
と思うも、一方では
〈おかしな性分だ、(世間には女二の宮に)恋焦がれて悩んでいる人もいるのに〉
と思いながら、
〈(女二の宮が)中宮がお生みになった女宮ならまだしも〉
と思われるのは、身分不相応な望みといえる。
(4)このような話を、右大臣(夕霧)はかすかに聞かれて、
〈六の君はなんとしても中納言に(縁づけたい)、(中納言が)気が進まなくても、真剣に頼んだら結局は、断りきれないだろう〉
と思っていらっしゃったのに、
〈思ってもみなかったことになりそうだ〉
と腹立たしく思われたので、 兵部卿宮も、また、それほど熱心ではないが、季節にあわせて風情のあるお手紙をいつもくださっていたので、
〈どうなってもいい、一時の好色心(すきごころ)からでも、そうなる(前世の)宿縁があって(兵部卿宮が六の君に)心惹かれないこともない。水も漏らさぬ情愛の深い人を選ぶにしても、普通の身分の男にまで格を下げるのでは、やはり、世間体も悪く満足できないだろう
〉、
などと思われるようになった。(右大臣が)
「娘がいれば不安な末世で、帝さえ婿をお探しになる時代に、まして臣下の娘が婚期を逃してはつまらない」
などと、(帝のことを)非難がましくおっしゃって、(妹の明石の)中宮にも何度も真剣に恨み言をおっしゃるので、(中宮も)お困りになって、(兵部卿宮に)
「お気の毒に、あんなに一生懸命あなたを婿にと望んで何年にもなるのに、意地悪く逃げていらっしゃるのは思いやりがないようではありませんか。親王たちは、後見しだいで栄えもし衰えもするのです。帝も、
『譲位も近い』
とそればかりおっしゃっているというのに、臣下なら、本妻が決まってしまうと、ほかの人を愛するのは難しいようですが、それでもあの(右)大臣は、真面目な方でありながら(雲居の雁と落葉の宮)どちらからも恨まれないように、していらっしゃいます。ましてあなたは、わたしが考えているように東宮におなりになったら、大勢の女の人がおそばにいてもなんの差し支えもありません」
などと、いつになく言葉を続けて、(六の君と結婚するのが)ふさわしいようにおっしゃるのを、(宮は)ごじぶんでも、
〈はじめから、まったく気乗りがしない話、でもないから、一方的に断ってばかりはいられないだろう、ただ、すべてが格式ばった右大臣の邸に閉じ込められたら、今までの自由気ままな暮らしができなくなるだろう〉
となんとなく辛く思われて気が進まないが、
〈(母宮の)おっしゃるように、右大臣にとことん恨まれたら都合が悪いだろう〉
などと、(中宮の説得に)しだいに従われるようである。(だが宮は)多情な性格だから、あの按察使大納言(あぜちのだいなごん)の紅梅の(東の)姫君(蛍兵部卿宮と真木柱の子)のことをいまだにあきらめられず、春の花や秋の紅葉につけてお手紙を送られては、(六の君と紅梅の姫君)どちらにも会ってみたいと思っていらっしゃる。この年は(なにも進展しないまま)新年になった。
(5)女二の宮の服喪も終わったので、(帝も)なにも遠慮なさることはない、
「(中納言から結婚の)申し出があれば、と(帝も)思っていらっしゃるようです」
などと知らせてくる人々もいるので、(中納言は)
〈いつまでも知らない顔をしているのも変だし失礼だろう〉
と決心なさって、(女二の宮との結婚を)時々ほのめかされるのを、(帝が)そっけなくなさるはずがない、
「婚儀の日取りもお決めになったようだ」
と人づてにも聞き、じぶんでも(帝を)見てそう思うが、(中納言の)心の中は、やはり心残りのまま亡くなってしまわれた大君を悲しむばかりで
〈いつまでも忘れることができない〉
と思われるので、
〈情けない、こんなに宿縁の深かった人が、どうしてわたしと夫婦になろうとしないで亡くなってしまわれたのだろう〉
と納得のいかない気持ちで思い出される。
〈身分が低くても、あの人に少しでも似ていたら、心が惹かれるだろう、昔あったいとう反魂香(はんごんこう)の煙の中に現れる姿でもいいから、もう一度会いたい〉
とばかり思われて、高貴な女二の宮との婚儀を、早くなどと急ぐ気持ちもない。
(6)右大臣殿(夕霧)は(兵部卿宮と六の君との婚儀を)急がれて、
「八月頃に」
と(兵部卿宮のほうに)おっしゃる。二条院の中の君は、(そのことを)聞かれると、
〈やはり、思っていた通りになった、数にも入らないわたしだから、
《きっと世間の物笑いになるような情けないことが起こるかもしれない》
と心配しながら今まで宮と暮らしてきた、浮気な方といつも聞いていたから、信頼できないと思いながらも、わたしには、格別思いやりがないこともなさらないし、やさしく心から愛を誓ってくださるだけだったから、(六の君と結婚して)急に態度がお変わりになったら、平静でいられるはずがない、(皇族だから)世間普通の夫婦のように、すっかり縁が切れてしまうことはないにしても、不安に思うことが多くなるだろう、やはり(わたしは)ほんとうに辛いことの多い身の上だから、結局は山里に戻ることになるだろう〉
と思われるが、
〈このまま山里に身を隠したとしても、山里の人たちが待ち受けていて
(「結婚に失敗して帰ってきた」
と)物笑いにするだろう〉
と、父宮の遺言に背いて宇治を出てきてしまったのが、返す返すも(残念でならず)その軽率さを、恥ずかしくも情けなくも思われる。
〈お姉さまは、はっきりしたところがなく頼りなさそうにばかり何事もお考えになりおっしゃっていたが、心の底がしっかりしている点では、この上ない方だった、中納言の君が、いまだに忘れられずずっと悲しんでいらっしゃるようだが、もし(お姉さまが)生きていらっしゃったら、わたしと同じように悲しい思いをなさったかもしれない、それを(お姉さまは)
《けっしてそんな目には会わない》
と深く思いつめられて、なんとか(中納言の君から)離れようと思われて、尼になろうともされた、(生きていらっしゃったら)きっとそうなさっていたはず、今になって思うと、ほんとうに思慮深い方だった、父宮もお姉さまも、わたしを、あまりにも軽率な女とあの世からご覧になっているだろう〉
と、恥ずかしく悲しく思われるが、
〈今さらどうしようもないこと、こんな悲しみを(宮に)気づかれないようにしよう〉
とじっと我慢して、なにも聞かなかったふりをして過ごしていらっしゃる。
(兵部卿)宮は、(六の君のことがあるので)今までよりも、心を込めてやさしく、絶えず変わらない愛を誓っては、
「この世だけでなく、来世までも頼りにしてほしい」
とおっしゃる。実は(中の君は)、この五月頃から、いつもと違ってご気分のすぐれない時もあった。ひどく苦しがったりはなさらないが、ふだんよりお食事があまり進まず、横になってばかりいらっしゃるのを、(宮は)まだこのように妊娠している人の様子をよくご存じではないので、ただ
〈暑い頃だから横になっていらっしゃるのだろう〉
としか思われない。(それでも)さすがに
〈おかしいな〉
と不審に思われることもあって、
「もしかして(子供が)。どんな気分です。妊娠した人は、そんなふうに気分が悪くなるそうだから」
などとおっしゃる時もあるが、(中の君は)とても恥ずかしそうになさって、なんでもないように振舞っていらっしゃるし、でしゃばって(懐妊と)報告する女房もいないので、(宮も)はっきりとはおわかりにならない。
八月になると、婚儀の日取りなどを、(中の君は)人づてに聞かれる。宮は、隠すつもりはないが、いざ言い出すとなると心苦しくかわいそうに思われるので、そうともおっしゃらないのを、(中の君は)そのことまで情けなく思われる。
〈(六の君との婚儀は)なにも秘密にすることではなく、世間ではみな知っていることなのに、その日取りもおっしゃってくださらないとは〉
と、恨まないではいられない。(中の君が)二条院にお移りになってからは、(宮は)なにか特別なことでもないかぎり、(宮中へ)参内なさっても、宿直などはなさらず、あちこちに泊まって(中の君のところに)お帰りにならないようなことはなかったが、
〈急に(六の君と結婚して)帰らないことになったらどんな気がするだろう〉
と心苦しく思われて(中の君の)辛さを紛らわすために、この頃は、時々(宮中の)宿直といって参内なさったりしては、今からなれさせようとしていらっしゃるが、(そんなことをしても)(中の君は)ただ薄情な態度としか思われないだろう。
(7)中納言殿も、(この婚儀の件を)
〈(中の君にとって)ほんとうにお気の毒だ〉
と聞かれる。
〈浮気な宮だから、(中の君を)愛しく思っていらっしゃっても、目新しい人(六の君)に必ずお気持ちが移っていくだろう、六の君のほうは、れっきとした家柄だし、(右大臣が)(宮を)自由にさせないで引きつけておかれたら、(中の君は)ここ数か月、したこともない、(宮の訪れを)待つことが多くなり(空しい)夜を過ごすことになるだろう、かわいそうだな〉
と思われると、
〈どうしようもないな、わたしは、どうして(中の君を)(宮に)譲ったのだろう、大君を愛するようになってからは、俗念を断ち(仏道一筋に)澄みきっていた心も濁るようになり、ただあの人のことばかりあれこれと思いながら、さすがに
《あの人が許さないのに無理強いするのは、本来の望みとは違う》
と遠慮しては、
《なんとかして、少しでも好きになってもらって、打ち解けてくださる様子を見たい〉
と、将来一緒になることばかりを思い続けていたのに、あの人はそんな気はなく、とはいえ一方的に突き放すこともできないと思われた その気休めに、
「妹だから同じこと」
と無理なことを言って、望んでもいない中の君と結婚させようとなさったのが悔しく恨めしかったから、とにかくあの人の気持ちを変えようと、急いで(宮に)(中の君を)会わせたんだ〉
などと、(大君との結婚をあせったあまり)女々しく気が変になったように(宮を)(宇治まで)案内して(中の君と会えるよう)計らった当時のことを、思い出すと、
〈とんでもないことを考えたものだ〉
と返す返す悔やまれる。
〈宮にしても、いくらなんでも、あの頃のいきさつを思い出したら、わたしが聞いたらどう思うかと、少しは気になさってもいいのだが〉
と思われるが、
〈いやもう、今は、あの当時のことなど、すっかり忘れ口にもされないだろう、やはり浮気な性格で、心の変わりやすい人は、女だけでなく男にとっても、頼りにならず軽々しいところがあるようだ〉、
などと(宮を)憎らしく思われる。(中納言は)じぶんがあまりにもお一人の方に執着する性格だから、宮のすることが格別腹立たしく思われるのだろう。
〈あの人があっけなく亡くなってからは、帝が姫宮を下さるとお決めになっても嬉しくはなく、
《中の君を妻にしていればよかった》
と思う気持ちが月日とともにつのるのも、ただ、大君と縁があると思うせいで、あきらめられないのだ、姉妹といっても、(あの人と中の君は)この上なく仲良くしていらっしゃって、あの人がいよいよご臨終という時にも
「あとに残る妹をわたしと同じようにに思ってください」
と言って、
「どんなことも心残りはないが、ただわたしが考えていたことをしてくださらなかったことだけが残念で恨めしいので、この世に執着が残りそうです」
とおっしゃったから、(あの人の魂は成仏できず)中空を彷徨いながら、(六の君のことで)中の君が悩んでいるのをご覧になって、いっそうわたしを薄情だと思っていらっしゃるだろう〉、
などと物思いにふけって、ごじぶんのせいで(わびしい)独り寝をなさる夜ごと、ちょっとした風の音にも目が覚めて、今までのことこれからのこと、(ごじぶんのことはもちろん)中の君のことまで、思うようにいかないこの世のことをあれこれ考えていらっしゃる。
一時の慰みに情けをかけて、身近に使っていらっしゃる女房たちの中には、しぜんと好感を持たれる女がいそうなものだが、心底から心惹かれる女もいないとは(中納言は)実にさっぱりしたものである。こんなことを言うのも、あの宇治の姫君に劣らない身分なのに、時勢の移り変わりにつれて落ちぶれ心細い暮らしている人々を、探し出しては仕えさせていらっしゃる女房が多いからだが、(中納言は)
〈いよいよ世を捨てて出家する時に、
《この人だけは》
と、とりわけ執着が残り(出家の)妨げになるような女は作らないにしようと強く思っていたのに、(大君のことで)こんなに見苦しく悩むとは、我ながら異常だ〉
などと、いつもより、おやすみになれず夜を明かされた朝、霧の立ちこめた垣根に、色とりどりの花が趣深く見渡される中にまじって、朝顔が頼りなさそうに咲いているのに、特に目のとまる気がなさる。
「(朝がほは 常なき花の 色なれや)あくるま咲きて(うつろひにけり)[出典未詳]」
と詠まれて、無常な世の中に喩えられているのが、身につまされるのだろう、格子も上げたまま、ほんの形ばかり横になって夜を明かされたので、この花の開くところも、一人だけでご覧になる。
(中納言が)人を呼ばれて、
「二条院に行くから、目立たない車を用意してくれ」
とおっしゃると、
「宮は、昨日から宮中にいらっしゃるようです。昨夜(供の者が)、車を引いて帰りました」
と申し上げる。 (中納言は)
「それはいい、あの対のお方(中の君)がご気分がお悪いそうだからお見舞いに行く。今日は宮中に上がらなければならないから、日が高くならないうちに」
とおっしゃって、装束をお召しになる。出かけようとして、(庭)に降りて花の中に立たれる姿は、ことさら優雅に色っぽく振る舞っていらっしゃるわけではないが、不思議と、なにげなく見ても優美でこちらが恥ずかしくなるほどで、精一杯気どっている色男などと比べようがないほど、自然と身に備わった風情がある。朝顔を引き寄せられると、露がひどくこぼれる。
「今朝のまの 色にやめでん おく露の 消えぬにかかる 花と見る見る
(今朝の束の間の美しさを愛するのか 露の消えない間だけの短い命と知りながら)
はかないな」
と独り言をおっしゃって、(花を)折って持たれる。女郎花には目もくれないで出ていかれる。
(8)夜が明けていくにつれて、霧が立ちこめた空の景色も趣深く、(中納言は)
〈女たちは(宮が留守だから)気を許して朝寝しているだろう、格子や、妻戸などを叩いて案内を請うのも気がひける、あまりにも朝早く、来てしまった〉
と思いながら、お供の者を呼んで、中門の開いた所から中を覗かせると、
「格子などはみな上げてあるようです。 女房の気配もしました」
と言うので、(車を)降り、霧に紛れて姿美しく歩いて入っていかれる、(女房たちが)
〈宮がお忍びの所からお帰りになったのかしら〉
と思っていると、露に濡れたお召し物の薫りが、例によって、普通の人とは違って匂ってくるので、
「やはり(目がさめるほど)素晴らしいお方だ。あまりにも落ち着きすぎていらっしゃるのが憎らしいけれど」
などと、つまらないことを若い女房たちは噂している。(それでも)慌てたりはしないで、ほどよく衣ずれの音をさせて敷物を出したりする様子も、とても感じがよい。(中納言が)
「ここに控えていろと許してくださるのは、人並みに扱っていただいたという気はしますが、やはりこのような御簾の外に遠ざけておかれるのが情けないので、頻繁にお訪ねすることができないのです」
とおっしゃると、(女房は)
「では、どのようにしたらよいのでしょう」
などと申し上げる。(中納言は)
「北面(きたおめて 女房の詰所)などの目立たない所が、わたしのような古馴染みが休ませていただくのにふさわしいのでは。でも、それも、そちらのお気持ちしだいですから、不満を言ってもしょうがないのですが」
とおっしゃって、長押(なげし 敷居)に寄りかかっていらっしゃるので、例によって、女房たちが、
「やはりあそこまでご挨拶に行かれて」
などと(中の君に)お勧めする。
(中納言は)もともと性急に強く押しきったりしない人柄だが、ますます物静かに控えめに振舞っていらっしゃるので、(中の君も)以前は(中納言と)直接お話しするのが、とても恥ずかしかったのだが、そんな気持ちも少しずつ薄らいで今では平気になっていらっしゃる。(中納言は)
「ご気分が悪いそうですが、どうなさいました」
などとお尋ねになるが、(中の君は)はっきりとはお答えにならず、いつもとは違って沈んでいらっしゃる様子が痛々しいのをしみじみとせつなく思われて、(宮との)夫婦仲の心がまえなどを、実の兄のように、親切に教えたり慰めたりしてあげられる。
(中の君の)声なども(以前は)それほど(大君に)似ているとは思われなかったが、(今は)不思議なほど大君その人と思えるので、
〈人目に見苦しくないなら、簾を引き上げて差し向かいで話したい、ご気分が悪いというお顔も見たい〉
と思われると、
〈やはり世の中で恋に悩まない人は、あり得ないのだろうか(わたしだってこうなんだから)〉
と思い知らされる。(中納言は)
「(これまでわたしは)人並みに出世して華やかな暮らしをしなくても、悩んだり、悲しみに苦しむようなことはなくこの世を過ごせるはずだと、じぶんでは思っていました。(それなのに)じぶんから、悲しいこと(大君の死)や、愚かな悔しいこと(中の君を宮に譲ったこと)をして、あれこれと心の休まる時がないほど悩んでいるのはまったく困ったものです。官位などといって、(世間では)重大事に思っているようですが、(そのような)昇進が思うようにいかない人の嘆きよりも、(わたしの嘆きのほうが)もう少し罪が深いでしょう」
などと言いながら、折ってきた(朝顔の)花を、扇の上にそっと置いて見ていらっしゃると、(朝顔が)しだいに赤みをおびてゆくその色合いの変化がかえって趣深く見えるので、そっと(御簾の中に)さし入れて、
よそへてぞ 見るべかりける 白露の ちぎりかおきし 朝顔の花
(あの人だと思ってお世話すればよかった 白露[大君]が約束してくださった朝顔[中の君]を)
〈格別気をつかっていらっしゃるわけでもないのに、よく露を落とさないで持っていらっしゃったこと〉
と(中の君が)おもしろく思われると、露が置いたまましおれてゆく様子なので、
「消えぬまに 枯れぬる花の はかなさに おくるる露は なほぞまされる
(露が消えないのに枯れてしまった朝顔[姉]よりも後に残された露[わたし]のほうがずっとはかない)
なにを頼りにすれば」
と とてもひっそりと言葉も続かず、恥ずかしそうに途中でやめてしまわれるので、
〈やはり(あの人に)とてもよく似ていらっしゃる〉
と(中納言は)思われると、なにはさておき(大君を亡くしたことが)悲しくてならない。
「秋の空は、いっそう物思いがつのります。することがない寂しさを紛らわそうと、先日、宇治へ行ってきました。庭も垣根も本当にますます荒れ果てていて、堪えがたいことばかりで。
故院(源氏の院)が亡くなられてからは、晩年の二・三年出家してお住みになった嵯峨院にしても、六条院にしても、立ち寄る人は悲しみを静めようがありませんでした。木や草の色を見ても、ひたすら涙にくれて帰るばかりでした。(故院に)親しく仕えていた人々は身分の上下を問わず浅はかな人はいませんでしたが、六条院に集まって住んでいらっしゃった方たちも、皆あちこちに散り散りに別れていって、それぞれ世を捨てた暮らしをなさるようでしたが、身分の低い女房などは、なおさら気持ちを静めようがなく 悲しみのあまり、どうしたらいいのかわからなくなって、(尼になって)山や、林に隠れ住んだり、あてもない田舎の人(地方官の妻など)になったりして、かわいそうな境遇に落ちぶれる者も大勢いました。そのため、(六条院は)すっかり荒れ果ててしまい、(源氏の院を失った)昔の悲しみを忘れる頃になって、今の右大臣(夕霧)が移り住み、(明石の中宮の)宮たち(女一の宮・女二の宮)も住んでいらっしゃるので、昔のにぎやかさが蘇ったようです。あのような(院の死という)世にまたとない悲しみも、年月が経つと、薄らぐ時がくるのですから、なるほどすべてものには限度があると思われます。このように申し上げながらも、あの昔の(院の死の)悲しさは、(わたしも)まだ幼い頃のことでしたので、それほど深くは感じなかったのかもしれません。(それに比べて)やはり、この間の夢としか思えない(お姉さまとの)別れの悲しみは、消すことができないように思われるのは、(院の死もお姉さまの死も)どちらも同じ、人の世の無常の悲しみですが、罪障の深さでは(お姉さまの死のほうが)まさっているのではないかと、そのことまでが情けなく思われます」
とおっしゃって泣いていらっしゃる様子は、とても愛情の深い方だと見受けられる。
亡き大君をそれほど慕っていなかった人でも、この中納言の悲しんでいらっしゃる様子を見たら、つい心を動かさないではいられないだろうに、まして(中の君は)、ごじぶんでもなにかと心細く悩んでいらっしゃって、いつもより一層、姉君の面影をしのび恋しく悲しく思っていらっしゃるので、ひときわ悲しみをそそられて、なにもおっしゃれない、(このようなお二人の)悲しみを抑えられないでいらっしゃる様子を、お互いに
〈ほんとうにお気の毒〉
と(御簾越しに)悲しい思いを通わしていらっしゃる。
「『(山里は もののわびしき ことこそあれ)世の憂きよりは(住みよかりけり)[古今集]』
などと、昔の人は言いましたが、(山里にいた頃は)そのように比べてみる気持ちも格別なくて長年過ごしていましたのに、今は、やはりなんとかして山里で静かに暮らしたいと思っているのですが、(そうは言っても)思い通りにはいかないでしょうから、尼になって宇治にいる弁が羨ましいのです。(父宮の三回忌の)今月(八月)二十日過ぎには山荘の近くのお寺の鐘をずっと聞いていたいので、そっと(宇治に)連れて行ってくださらないかと、お願いしようと思っていました」
と(中の君が)おっしゃるので、(中納言は)
「(宇治のお住まいを)荒らさないにしようと思われても、それはできないでしょう。気軽に出かけられる男でも、行き来するのは、困難な険しい山道ですから、(わたしだって)行きたいと思いながらなかなか行けなかったのです。父宮様のご命日のことは、あの阿闍梨にすべて頼んでおきました。(宇治の)お住まいは、やはり、尊い仏にお譲りになったほうが。時々行って拝見するたびに、悲しみで心がかき乱されるのも嫌ですから、罪障消滅のお寺にしたいと思っていますが、あなたはほかに何かお考えですか。とにかくあなたがお決めになることに従おうと思っていますので、こうしたいとおっしゃってください。どんなことも遠慮なく打ち明けていただくのが、わたしの望みなのです」
などと実務的なことをいろいろとお話しになる。(中納言は) 経巻や仏像などを、さらに供養なさるつもりらしい。(中の君が)八の宮の法事をよい機会に、そっと宇治に引きこもってしまいたいような様子をほのめかされるので、(中納言は)
「そんなことしてはいけません。やはりどんなことも穏やかに考えてください」
と教えてあげられる。
日が高くなって、女房たちが集まって来るので、あまり長くいるのもなにかわけがあるように思われるので、(中納言は)お帰りになろうとして、
「どこへ伺っても御簾の外におかれるようなことはないので、変な感じがします。でも、また、 こういう扱いでもいいからお伺いしましょう」
とおっしゃってお立ちになる。
〈宮のことだから、
《どうしてじぶんのいない時に来たのか》
と思われるにちがいない〉
と(中納言は)宮に疑われたら面倒なので、侍所(さぶらいどころ)の別当(長官)である右京大夫(うきょうのかみ)を呼ばれて、
「昨夜宮中から退出なさったと聞いたから伺ったのだが、残念なことにまだお帰りでなかった。参内してみようか」
とおっしゃると、
「今日は、退出なさるでしょう」
と言うので、
「なら夕方にでも」
とおっしゃってお帰りになる。
(9)(中納言は)やはり、中の君の様子をご覧なったり声を聞かれるたびに、
〈どうしてあの人(大君)の気持ちに背いて(中の君を宮に譲るような)思慮の浅いことをしたのだろう〉
と後悔の念ばかりがつのって、心から離れないのもわずらわしく、
〈こんな辛い気持ちも、じぶんが招いたことではないか〉
と反省なさる。(大君の死後)ずっと、精進(魚肉を断つこと)を続けて、ますます勤行ばかりなさって、日々を過ごしていらっしゃる。母宮(女三の宮)は、今でも若くおっとりとしていて はきはきしたところがない性格ながらも、このような(中納言の)様子を不安に不吉なことと思われて、
「わたしの命もそう長くはないでしょうから、一緒に暮らしている間は、張り合いのある(立派な)姿でいてください。(あなたが)この世をお捨てになろうとするのを、このような尼姿のわたしが、妨げるわけにはいかないけれど、(あなたが出家なさったら)この世に生きている甲斐もない気がして取り乱してしまい、(出家をとめるよりも)いっそう罪を作るのではないかと思います」
とおっしゃるので、(中納言は)申し訳なくかわいそうなので、(物思いの)いっさいをあえて忘れるようにして、(母宮の)前ではなんの悩みもないふりをしていらっしゃる。
(10)右大臣(夕霧)殿は、六条院の東の御殿を美しく飾りたて、この上なくすべての準備をして(兵部卿宮を)待っていらっしゃるのに、十六夜(いざよい)の月がしだいに昇ってくる頃になってもお越しにならないので、
〈もともと気乗りのしない結婚だから、どうなることか〉
と心配に思われて、(使いをやって)様子を探ってごらんになると、
「夕方に宮中を退出なさって、二条院にいらっしゃるようです」
と(使いが帰ってきて)申し上げる。
〈お気に入りの方(中の君)がいらっしゃるからな〉
と(右大臣は)おもしろくないが、今夜(宮が)来られないのでは世間の物笑いになるので、ご子息の頭中将を使者としてこうおっしゃる。
大空の 月だにやどる わが宿に 待つ宵すぎて 見えぬ君かな
(大空の月さえ宿っているわが家に お待ちしている宵が過ぎてもいらっしゃらないのですか)
(兵部卿)宮は、
〈(婚儀に行くのを中の君に)見せたくない、かわいそうだ〉
と思われて、(宮中から婚儀に行くつもりで)宮中にいらっしゃったが、(宮から中の君に)手紙を出された、その返事はどう書かれていたのだろう、(宮は中の君を)やはりとても愛しく思われて、こっそりと(二条院に)お帰りになっていた。可愛らしい中の君を見捨てて出て行く気にもなれず、かわいそうなので、いろいろと約束して気持ちを慰めて、一緒に月を眺めていらっしゃるところだった。中の君は、このところなにかと思い悩むことが多いが、けっして顔に出さないようにじっと我慢しながら、さりげなく気持ちを静めていらっしゃるので、(右大臣の使者を)別に気にしないで、おっとりと振舞っていらっしゃる様子はとてもいじらしい。
(宮は)(頭)中将が迎えに来られたのを聞かれて、さすがに六の君のことも気の毒に思われるので、お出かけになろうとして(中の君に)、
「すぐに、帰ってきます。一人で月を見てはいけないよ。(あちらへ行っても)心は上の空 (わたしだって)とても辛いのです」
と言っておかれて、それでもやはり決まりが悪いので、人目につかない所を通って寝殿の部屋に行かれる。その後姿を見送ると、(中の君は)なにをどう思うわけでもないのに、ただ涙が流れて枕も浮きそうな気がするので、
〈情けないのは人の心だった〉
と身にしみて思い知らされる。
(11) 〈幼い頃から(わたしたち姉妹は)、心細く悲しい身の上で、この世に執着をお持ちでなかったお父様お一人を頼りにして、あのような山里で長い年月過ごしたけれど、いつもすることがなく寂しかったものの、これほど心にしみるほど世の中を辛いとは思わなかった、立て続けにお父様とお姉さまを亡くすという悲しい目にあった時は、わたし一人では片時も生きていられるとは思えず
《こんなに恋しく悲しいことはまたとない》
と思ったが、命が尽きず今日まで生きてみると、(「すぐに宮に捨てられるだろう」と)世間の人が想像していたよりは、人並みの暮らしをするようになり、長くは続かないと不安だったけれど、あの人(宮)と一緒にいる限りは愛情深くやさしくしてくださるのでようやく悲しみも薄らいでいたのに、今度の辛さは、なんとも、言いようがなく、(あの人とも)これでおしまいという気がする、もうこの世にはいらっしゃらないお父様やお姉さまとは、違って、あの人とは、時々は会えると思ってもいいのに、今夜このように(わたしを)見捨ててお出かけになる辛さに、後先のことも考えられないほど心細くてたまらず、じぶんの心ながら慰めようがないのが辛くてならない、でも生きてさえいたら(またあの人とも)〉
などとじぶんを慰めようとなさるが、あの(わが心 慰めかねつ 更科や 姥捨山に 照る月を見て[古今集])という慰めかねる月が澄み昇ってくるので、夜が更けるままにさまざまに思い乱れていらっしゃる。松風の吹いてくる音も、(宇治の)荒々しかった山おろしの風に比べるととてものどかでやさしく、暮らしやすいお住まいなのだが、(中の君は)今宵はそうは思われず、(山里の)椎の葉ずれの音より劣っていると思われる。
山里の 松のかげにも かくばかり 身にしむ秋の 風はなかりき
(山里の松の木陰の住まいでも これほど身にしむる秋の風は吹かなかった)
辛い昔のことを(中の君は)忘れてしまわれたのだろうか。
年寄りの女房たちは、
「もう(奥へ)お入りください。月を見るのは不吉とされていますのに。あきれたこと、ほんの少しの果物さえお召しあがりにならないのでは、どうなりますことか。ああ 見てはいられません。不吉なことも思い出されて、心配でなりません」
とため息をついて、
「まったく、今度の婚儀は。でも、このまま、疎遠になってしまわれることはないでしょう。なんといっても、はじめから深い愛情で結ばれた仲は、すっかり切れてしまうものではないから」
などと言い合っているのも、(中の君には)なにかと不愉快で、
〈今はどんなこともあれこれ言ってもらいたくない、黙って(宮の態度を)見ていよう〉
と思われるのは、(宮のことは)人には言わせないで、じぶん一人で恨むつもりなのだろうか。
「それにしても、中納言殿はあんなに情の深い方でいらっしゃったのに」
などと、事情を知っている女房たちは言い、
「人の宿世はわからないものね」
と言い合っている。
(12)宮は、(中の君を)とてもかわいそうに思われながら、派手好きな方だから、
〈なんとかして立派な婿として歓待されたい〉
と気を張って、念入りに香をたきしめた装いは言いようもなく素晴らしい。(宮を)待ち受けていらっしゃった邸のたたずまいも、とても風情がある。六の君の容姿は、小柄で弱々しいというのではなく、ほどよく成熟しているような気がなさるので、
〈(人柄は)どうなのだろう、もったいぶって気が強く、気立てもやさしいところがなく、気位ばかり高いのではないか、もしそうなら嫌だな〉
などと心配していらっしゃったが、(会ってみると)そんな感じの人柄ではなかったのだろうか、(宮も)とても愛着を持たれたようである。秋の夜長だが、(お越しになったのが)夜が更けていたからだろうか、ほどなく明けた。
(宮は)(二条院に)お帰りになっても、中の君のところへすぐには行かれず、(ごじぶんの部屋で)しばらくおやすみになり、起きてから(六の君に)後朝(きぬぎぬ)の手紙を書かれる。
「まんざらでもないようね」
と、おそばに仕える女房たちはつつき合う。
「中の君がお気の毒。どちらも分け隔てなく可愛がられても、(中の君が)しぜんと圧倒されてしまわれることもあるでしょう」
などと、平静ではいられず、みな(中の君に)いつも親しくお仕えしている女房たちだから、いらいらして不平を言う者たちもいて、なにかにつけて、やはり、悔しそうにしている。(宮は)(六の君の)返事を、
〈ここで待っていて見たい〉
と思われるが、(中の君と)一晩離れていたのが気がかりで、
〈いつもの宿直ではないからどんなに辛かっただろう〉
と心苦しいので、急いで(西の対に)行かれる。
(13)寝起きのお顔がとても美しい見映えのする様子で、(宮が)(お部屋に)入っていらっしゃると、(中の君は)横になっていて嫉妬していると思われるのも嫌なので、少し起き上がっていらっしゃるが、(昨夜泣き明かした名残だろう)ほんのり赤くしていらっしゃる顔の色艶などが、今朝はいつもより特に美しく見えるので、(宮は)思わず涙ぐまれて、しばらくじっと見つめていらっしゃるのを、(中の君は)恥ずかしく思われてうつむかれる、その髪の垂れぐあいや形など、やはりまたとないほどの美しさである。宮もなんとなく決まりが悪いので、やさしい言葉などは、すぐにはおっしゃれない照れ隠しなのか、
「どうしてこんなふうに気分が悪そうにばかりしているの。暑い間だけのこととおっしゃったから、早く涼しくなればと待っていたのに、秋になってもやはり晴れ晴れとなさらないのは、困ったことです。いろいろとさせている祈祷なども、いっこうに効き目がないような気がする。でも加持祈祷は、あきらめないで続けたほうがいい。効験のある僧がいればいいが。
あの何々(実名省略)僧都を、夜居に詰めさせればよかった」
などと病気のことなどをおっしゃるので、
〈こういうことでも調子のよいことをおっしゃる〉
と(中の君は)嫌な気がなさるが、なにも返事しないのもいつもと違って不自然なので、
「昔から(わたしは)、人と違っていて、このように病気をすることがあっても、なにもしないでも治りましたから」
とおっしゃると、(宮は)
「実にあっさりしているね」
と笑われて、
〈やさしく可愛らしいところはこの人に並ぶ人はいないな〉
と思いながらも、やはり、また、すぐにも六の君に会いたいと焦る気持ちが起こってくるのは、六の君への愛情も並々ではないのだろう。
だが(中の君と)向き合っている間は、今までと変わらず愛しく思っていらっしゃるのか、 (宮は)
「(現世だけでなく)来世までも」
と誓って頼もしそうなことを尽きることなくおっしゃるが(中の君は)それを聞くと、
〈たしかに、この世は、短いけれども その短い命の尽きるわずかな間にも、(今回の婚儀のように)薄情なことをされそうな気がするけれど、来世の誓いだけは破られることはないだろう〉
と思うと、
〈やはり性懲りもなくこの人をまた信じてしまいそうだ〉
と、(宮への想いを)懸命にこらえていらっしゃるようだが、とてもこらえきれないのか、今日は泣いてしまわれた。ここ数日は、
〈こんなに悲しんでいるのを(宮には)気づかれたくない〉
と、なんとかわからないようにしてきたが、いろいろな悩みが重なったために、いつまでも隠してはおけなくなったのか、いったんこぼれ出した涙はすぐにとめることができず(宮に涙を見られるのを)、とても恥ずかしく辛く思われて、顔を背けていらっしゃると、(宮は)無理にじぶんの方に向かせて、
「わたしの言うことを(信じてくれる)、可愛い人だとばかり思っていたのに、やはりよそよそしい気持ちがあったんだね。でなければ昨夜のうちに心変わりしたの」
とおっしゃって、ごじぶんの袖で涙をぬぐってあげられると、(中の君は)
「昨夜のうちの心変わりと、おっしゃるあなたこそ、そうなのでは」
とおっしゃって、(皮肉っぽく)少し笑われる。
「まったく、あなたは、子供みたいな言い方をするね。でもわたしは本当に隠しておくことがないから、まったく安心だ。(六の君に心変わりしていたら)どんなにもっともらしいことを言っても、(本当か嘘かは)はっきりわかるものです。男女のことをよくわかっていないのは、可愛いけれど困るね。まあ、じぶんのこととして考えてみてください。(わたしは)じぶんの思うようにはできない身の上なのです。もしわたしの思い通りにできる世の中になったら、誰よりもあなたを愛していることを、わかっていただけることが一つあります(東宮そして帝になれば中宮にするつもりがあること)。軽々しく口にすることではないから、命だけは大切に」
などとおっしゃっていると、六条院に遣わした使者が、ひどく酔っ払ってしまい、少しは(中の君に)遠慮しなければならないのも忘れて、おおっぴらにこの西の対の南面にやって来た。
(14)海人(あま)の刈る藻(も)ではないが(使者が)褒美として頂戴した数々の衣裳を肩にかついでいるので、
「後朝(きぬぎぬ)の使いだろう」
と女房たちは見る。
〈いつのまに手紙を書かれたのだろう〉、
と思うにつけても、(女房たちの)気持ちは穏やかではないだろう。宮も、あえて隠しておくことでもないが、いきなり(中の君に)見せつけるのはやはりかわいそうなので、
〈少しは気をつかえばいいのに〉
と不愉快だが、今さらどうしようもないので、女房に言いつけて手紙を受け取られる。
〈こうなったからには、隠したりしないところを見せておこう〉
と思われて、(手紙を)開いてごらんになると、(六の君の養母の)落葉宮の筆跡のように見えるので、少し気が楽になって、下に置かれる。代筆の手紙でも、(中の君の前で見るのは)気がとがめる。
「差し出がましいことをするのは心苦しく、(本人に書くよう)勧めたのですが、とても気分が悪そうにしていますので、
女郎花 しをれぞまさる 朝露の いかに置きける なごりなるらん
(女郎花[六の君]がいっそうしおれています 朝露[宮]がどんなふうに置いた名残なのでしょう)
上品に美しく書いていらっしゃる。
(15)宮は
「恨んでいるような歌なのも嫌だな。ほんとうは、あなたと二人きりでしばらくは暮らしたいと思っていたのに、思いもしないことになってしまった」
などとおっしゃるが、妻が一人で、それが当然と思っている普通の身分の夫婦仲なら、こういう場合の妻の恨めしさなども、そばで見ている人は同情するだろうが、思えば宮の場合はとても難しい。(宮の身分と立場では)結局はこういうことになってしまう。宮たちの中でもこの宮は、特別の立場の方と世間でも思っているので、何人も妻をお持ちになっても、非難されるはずもないから、誰も、中の君を
〈お気の毒〉
などとは思ってはいないだろう。(それどころか)(宮が)(零落した宮家の娘である)お気の毒な中の君をこれほど重々しく大切にして(二条院に)住まわせて、かわいがっていらっしゃるのを、
「幸運なお方」
と世間では噂しているようである。(中の君)ご自身の気持ちとしても、(宮が)あまりにも大事にしてくださるのに馴れてしまって、急に体裁の悪いことになったのが悲しく情けないのだろう。
〈夫がほかに妻を持つと、どうしてそんなに深く悩むのだろうと、昔物語などを見たり、他人の身の上を聞いたりしても、不思議に思っていたけれど、なるほどいい加減ではすまされない〉
と、(中の君は)それがじぶんのことになってみると、何事もよくおわかりになる。
宮は、いつもよりやさしく、くつろいだ様子で(中の君に)接していらっしゃって、
「なにも召し上がらないのは、よくない」
とおっしゃって、おいしそうな果物を持ってこさせ、また、料理上手な人を呼んで、特別に料理させたりしては、(中の君に)お勧めになるが、(中の君は)食欲などまったくなさそうな様子なので、
「困ったことだな」
と心配していらっしゃるうちに、日が暮れてしまうので、(六の君訪問の準備のために)夕方寝殿に行かれる。風も涼しく、だいたいが空の景色も風情ある季節で、宮は派手好きなご性格だから、ますます気分も華やいでいらっしゃるが、思い悩むことの多い中の君の心の中は、なにかと堪えがたいことばかりが多い。蜩(ひぐらし)の鳴く声を聞くと、宇治の山陰ばかりが恋しくて、
おほかたに 聞かましものを ひぐらしの 声うらめしき 秋の暮かな
(あのまま宇治にいたらなにげなく聞き流すだろうに 都に出てきたばかりに蜩の声も恨めしく聞こえる秋の暮れ)
今宵はまだ夜が更けないうちに(宮は)お出かけになるようである。先払いの声が遠のくにつれて、海人(あま)も釣りができるほど涙があふれてくるのを、(中の君は)
〈じぶんながら嫌な心〉
と思い、(先払いの声を)聞きながら横になっていらっしゃる。(宮が)(新婚三日間は通ってこられたがそれ以後は通って来られず)結婚当初から辛い思いをさせられたことを思い出すと、(宮を)嫌にさえ思われる。
〈この身重のからだもどうなることだろう、とても短命な一族だから、お産のときに、死んでしまうかもしれない〉
と思うと、
〈(命は)惜しくはないけれど、(身ごもったまま死ぬのは)悲しいことだし、それに、とても罪深いというから〉
と眠ることもできないまま思い悩んで夜を明かされる。
(16)(兵部卿宮と六の君の新婚三日目にあたる)その日は、明石の中宮が気分がすぐれないというので、どなたも(病気見舞いに)参内なさったが、
〈風邪でいらっしゃるなら、それほど心配することもない〉
ということで、右大臣(夕霧)は昼に退出なさった。中納言の君(薫)を誘われて、同じ車で出て行かれる。今夜の儀式(披露の祝宴)はどうだろう、(右大臣は)限りなく華美にと思っていらっしゃるようだが、(臣下では)限度があるだろう。この(中納言の)君を誘うのも、(婿に望んだことがあるから)気が引けるが、一族では、ほかに、適当な人もいらっしゃらないし、宴席の引立て役としては、やはり、格別な方で、いらっしゃるからだろう。(中納言は)(いったん帰邸してから)いつもと違って早々と(六条院)に行かれて、(六の君を)宮の妻にしたことを、残念に思っている様子もなく、あれこれ大臣に協力してお世話なさるのを、右大臣は、内心、なんとなく憎らしく思われる。
(17)宵を少し過ぎた頃に(兵部卿宮は)いらっしゃった。寝殿の南の廂の間の、東に寄った所に席が設けてある。高杯(たかつき)を八つ、その上に恒例のお皿などをきちんと華麗に並べ、ほかに小さい台盤二つに、華足(けそく)のついた皿などを現代風に整えさせて、(お祝いの三日夜の)餅をさし上げる。珍しくもないことを書いておくのはみっともない(から省く)。右大臣がやって来られて、
「夜もすっかり更けましたから」
と、女房を介して(宮の出座を)催促なさるが、(宮は)(六の君の部屋で)すっかりくつろいでいらっしゃって、すぐには出て来られない。北の方(雲居雁)のご兄弟の左衛門督(さえもんのかみ)や、藤宰相(とうさいしょう)などだけが席についていらっしゃる。
ようやく出ていらっしゃった(宮の)お姿は、見る甲斐があるとても立派な婿君といった感じである。主人役の頭中将(夕霧の子息)が、盃(さかずき)をささげて祝膳をさし上げる。次々とすすめられる盃を、(宮は)二度、三度とお召し上がりになる。中納言がしきりに(お酒を)お勧めになるので、宮は少し笑われる。
「あんな(格式ばった)面倒な所では」
と、じぶんには合わないと思って不満を漏らしたのを思い出されたのだろう。だが(中納言は)、知らないふりをして真面目な顔をしている。(中納言は)東の対に出られて、(宮の)お供の人々を接待なさる。(お供には)評判の高い殿上人たちがとても多い。(引出物は)四位(しい)の六人には、女の装束に細長を添え、五位(ごい)の十人には、
三重襲(みえがさね)の唐衣(からぎぬ)で、裳の腰も位階によって差があるはずである。六位の四人には、綾の細長、袴などだが、(右大臣は)限度があるにしても、しきたり通りでは物足りなく思われたので、衣裳の色合いや仕立てなどを限りなく贅沢になさった。(下級の)召次(めしつぎ 雑役)や、舎人(とねり 馬の世話役)の中には、過分なほどの祝儀を、賜った者もいた。なるほど、このような、にぎやかな華やかなことは見ていても素晴らしいので、物語などにも、まず書かれるだろう、だが(この盛儀は)、いちいち並べ立てて、詳しく書くことはできなかったようである。
(18)中納言殿の先払いの中に、暗い物陰にでも立っていて気づかれなかったのか、あまり優遇されなかった者がいて、(三条院に)帰ってからため息をついて、
「うちの殿は、どうして、素直に、右大臣殿の婿になられないのだろう。おもしろくない独り暮らしだ」
と、中門のところでつぶやいていたのを(中納言は)聞かれて、おかしく思われる。(先払いのこの男は)
〈夜も更けて眠いのに、あの大事に接待されていた(宮の)供人たちは今頃は気持ちよさそうに酔っ払って横になって寝ているだろう〉
と、羨ましいのだろう。
(中納言の)君は、部屋に入って横になられて、
〈(婿になるなんて)照れくさいな、格式ばった様子の親がそばについていて、近い親族なのに、灯火を明るくともした中で、あの人この人が、お勧めする盃などを(受けるなんて)、(宮は)とても無難にさばいていらっしゃった〉
と(披露宴での)宮の様子を立派だったと思い出される。
〈たしかに、わたしだって、これはと思う娘がいたら、この宮をさしおいては、帝にさえさし上げることはしないだろう〉
と思われるが、(一方)
〈宮に娘をさし上げたいと願っている親たちは、誰もが、
《やはり源中納言のほうが》
と、口々に言っているそうだから、わたしの評判もまんざらでもないようだ、それにしても、(わたしのような)世間づきあいもあまりしない年寄りじみた男を〉、
などと、得意になっていらっしゃる。
〈帝が(わたしに女二の宮をと)お漏らしになったことだが、本当にそのおつもりなら、こんなふうに気が進まなかったら、どうしたらいいのだろう、名誉なことではあるが、どうだろう、女二の宮が、あの人(大君)によく似ていらっしゃったら、嬉しいのだが〉、
と思ったりなさるのは、さすがに(女二の宮に)まったく気がないわけでもなさそうである。
(19)例によって、(物思いで)眠られずどうしようもないので、(中納言は)(女三の宮に仕える)按察(あぜち)の君といって、ほかの女よりは多少目をかけていらっしゃる女房(召人)の部屋に行かれて、その夜は明かされた。日が高くなってからお帰りになっても、誰も咎めないのに、気にして急いで起きられるのを、(按察の君は)不満に思っているようだ。
うちわたし 世にゆるしなき 関川を みなれそめけん 名こそ惜しけれ
(世間から認めてもらえない身分違いのわたしですから あなたと逢うようになったと噂されるのも辛いのです)
(中納言も)かわいそうなので、
深からず うへは見ゆれど 関川の したのかよひは たゆるものかは
(深くないように表面は見えても ひそかに想っているわたしの愛情は絶えることはない)
「深く愛している」
とおっしゃったにしても頼りにならない(関係な)のに、
「深からず うへは見ゆれど」
などと言われたのでは、(按察の君は)いっそう嫌な気がするだろう。(中納言は)妻戸を押し開けて、
「ほんとうは、この空を見たかったんだ 見てごらん、この(美しい)空を知らないふりをして寝てはいられないよ。風流人を気取るわけではないが、ますます夜が明けるのが長く感じられる秋は、毎晩夜に目が覚めて、この世だけでなくあの世のことまで考えてしまい悲しくなる」
などと話をそらして出て行かれる。特に女が喜ぶような言葉をいろいろと言われるわけではないが、お姿が優美に見えるせいか、(中納言は)
〈冷たいお方〉
などとはどの女にも思われてはいらっしゃらない。その場限りの遊びで言い寄られた女たちが、
〈近くでお姿だけでも見ていたい〉
と思うのか、世を捨てていらっしゃる母宮(女三の宮)のところへ、無理をお願いして、つてを頼って集まってきて仕えているが、かわいそうなことがそれぞれの身分なりに多いようである。
(20)(兵部卿)宮は、六の君の様子を昼にご覧になると、ますます心惹かれる。背丈やからだつきもちょうどよく、容姿はさっぱりと美しく、髪の垂れぐあいや、頭の格好など、人より優れて、
〈ああ 素晴らしいお方だ〉
と見える。肌の色は驚くほどつややかで、重々しく気品のある顔で、目元はこちらが恥ずかしくなるほど上品で可愛らしく、なにもかも備わっていて、
「申し分なく美しい人」
と言っていい。二十を一つ二つ越えていらっしゃる。幼い年頃でもないので、未熟で不足なところはなく、きわだって美しく盛りの花と見える。(右大臣が)大切に育てられたお方だけに、至らないところはない。なるほど、親としては、(結婚相手を誰にするか)悩まれたのも当然である。ただ、ものやわらかでやさしく可愛らしいという点では、あの中の君を真っ先に思い出される。(六の君は)(宮が)話しかけられる返事なども、恥ずかしがってはいらっしゃるが、かといって、はきはきしないというのではなく、すべてにおいて優れているところが多い、利発なお方である。美しい若い女房たちが三十人ほど、女童六人も見苦しい子はいなく、装束なども、通常の格式ばったものでは(宮が)珍しくもないと思われるだろうから、趣向を変えて、どうかと思われるほどの意匠を凝らしていらっしゃる。 三条殿(雲居雁)のお生みになった長女を、東宮にさし上げられた時よりも、六の君の結婚に、格別気を使っていらっしゃるのも、宮の声望や人柄によるのだろう。
(21)(宮は)このように(六の君と)結婚してからは、二条院の中の君のところへ気軽に出かけられない。身軽に動ける身分ではなく、昼でさえ思うままに出かけることができないので、(昼は)そのまま同じ(六条院の)南の町の、昔(紫の上に育てられて)お暮らしになっていた所にいらっしゃるし、日が暮れたら、暮れたで、(同じ六条院にいる)六の君を素通りして(二条院に)出かけるわけにはいかなかったりして、(中の君としては)待ち遠しく思われる時がたびたびあるので、
〈こうなるだろうと覚悟はしていたものの、まさかこんなにがらりと、変わってしまわれるとは思わなかった、なるほど、思慮深いお姉さまは、数にも入らない者が付き合えるような所ではないとわかっていらっしゃったのだ〉
と、返す返すも、宇治の山里から都へ出てきた時のことが、現実のこととは思われず悔しくて悲しいので、
〈やはり、なんとかしてそっと帰ろう、すっかり宮から離れてしまうというのでなくても、しばらく宇治で心を休めたい。かわいげがないようなことをしたら、よくないけれど〉
などとじぶん一人では決めかねて、気が引けるけれど、中納言殿に手紙を出される。
先日の法事のことは、阿闍梨から、詳しくお聞きしました。昔のお付き合いをお忘れにならないご厚意がなかったら(供養もできず)、どんなに(故人も)気の毒なことかと思われますので、ただただ感謝するばかりです。できれば、直接お会いして(お礼を)。
陸奥国紙(みちのくにがみ)に、気取らずに真面目に書いていらっしゃるのが、とても趣がある。(八の)宮の三回忌に、定められた仏事の数々を厳かにおさせになったのを、感謝していらっしゃる気持ちが、おおげさに書いてあるわけではないが、(中納言には)(中の君の気持ちが)よくおわかりになるのだろう。いつもは、中納言から出す手紙の返事さえ遠慮すべきことのように思われて、すらすらと言葉を続けることもなさらない中の君が、
「直接お会いして」
とまで書いていらっしゃるのが、(中納言には)珍しく嬉しいので、心がときめくに違いない。宮が、目新しい六の君に夢中になっていらっしゃる時で、(中の君を)おろそかにしていらっしゃるのを、
〈なるほど(中の君は)辛いだろうな〉
と察しがつくので、とても気の毒に思われて、格別風情がある手紙でもないのに、下にも置かず何度も何度もご覧になっている。お返事は、
拝見いたしました。先日は、修行僧のような格好で、わざと人目を避けて行きましたのも、あの時はそのほうがよいと思ったからです。
「昔のお付き合い」
とおっしゃるのは、わたしの気持ちが浅くなったようにお思いかと、恨めしくなります。すべてはお伺いしてから。あなかしこ。
と、生真面目に、ごわごわした白い色紙に書いてある。
(22)そして、翌日の夕方に(中納言は)(二条院に)行かれた。ひそかに(中の君を)想う気持ちがあるので、服装なども無性に気になり、生来の芳香があるのに、柔らかな何枚もの下着に薫香をたきしめていらっしゃるのは、はっとするほどの匂いで、ふだん使っていらっしゃる丁子染の扇の移り香などまで例えようもなく素晴らしい。
中の君も、(中納言と過ごした)不思議な一夜のことなどを思い出されるときがないわけでもないので、(中納言の)誠実でやさしい人柄が宮とは違っていらっしゃるのを見ると、
〈この方と結婚していたら〉
と思っていらっしゃるかもしれない。もう幼い年頃でもないので、恨めしい宮のご様子と比べてみると、何事においても(中納言が)格段に優れていらっしゃるのがわかるのか、
〈いつもそっけなくするのも気の毒だし、人の好意もわからない女と思われるかもしれない〉
などと思われて、今日は、(中納言を)御簾の中にお入れして、母屋の簾に几帳を立てて添え、ごじぶんは奥のほうに身をひいて対面なさる。
「特別にご招待されたわけではないのですが、いつもと違うお言葉をいただいた嬉しさに、すぐにもお伺いしたかったのですが、(昨日は)宮がいらっしゃると伺いましたので、失礼かと思い、今日にしました。それにしても、長年のわたしの誠意もようやく報われる時が来たのでしょうか、隔てを少し取り外して御簾の中に入れてくださるとは。めったにないことですね」
とおっしゃるので、(中の君は)やはりとても恥ずかしくて、言葉も出ないような気がなさるが、
「法事のことを、嬉しく聞きましたわたしの気持ちを、いつものように、胸の中にしまったままにしていましたら、わたしが身にしみて感謝している その一部分さえわかっていただけないのではないかと残念に思いまして」
と、とても控えめにおっしゃるけれど、奥のほうにいらっしゃるために、とぎれとぎれにかすかにしか聞こえないので、(中納言は)もどかしくなって、
「遠くてよく聞こえません。あなたたちのことでお話したいことやお聞きしたいことがありますのに」
とおっしゃると、(中の君は)その通りだと思われて、少しにじり寄ってこられるが(中納言は)その気配を感じると、急に胸がどきどきするものの、さりげなく、いっそう落ち着いた態度を装って、
〈宮の愛情は思いのほか浅かった〉
と(中の君に)思われるように、一方では(宮を)批判したり、また一方では(中の君を)慰めたりもして、あれこれと物静かにお話しになる。
(23)中の君は、宮の薄情さなどは、口に出して話すことではないので、ただ、ごじぶんの宿世のつたなさを悲しんでいると(中納言に)思われるように、言葉少なに言い紛らして、
〈宇治にほんのしばらくでも連れて行ってほしい〉
と思っていることをわかっていただけるように、心を込めておっしゃる。(中納言は)
「それだけは、わたしの一存では、お世話はできないのです。やはり、宮に、素直におっしゃって、宮のお考え通りになさったほうがいいでしょう。そうでないと、ちょっとした行き違いがあって、
〈軽率なことを〉
などと(宮に)思われたら、大変なことになるでしょう。そういう心配さえなければ、道中の送り迎えも、わたしが直接お世話しても、なんの遠慮もありません。人とは違ってわたしが安心できる性格であることは、宮もよくわかっていらっしゃいます」
などと言いながらも、中の君を宮に譲った悔しさを忘れることができず、中の君を取り返したい気持ちを、時々、ほのめかしながら、しだいにあたりが暗くなっていく頃までいらっしゃるので、(中の君は)煩わしく思われて、
「では、気分もよくありませんので、また、いくらか良くなった時に、どんなことでも」
とおっしゃって、奥に入ってしまわれる様子なのが、(中納言は)残念でならず、
「それにしても、(宇治には)いつ頃お出かけになるつもりですか。ひどく茂っていた道の草も、少し刈り取らせておきましょう」
と(中の君の)気を引こうとしておっしゃると、(中の君は)入りかけて立ち止まり、
「今月はもう終わりですから、来月の初めごろにと思っています。ただ、内々で行ったほうがいいのでは。宮のお許しを得るような大げさなことではなく」
とおっしゃるが その声を聞くと、(中納言は)
〈なんて可愛らしい〉
と、いつにもまして亡くなった大君のことを思い出さずにはいられないので、こらえきれなくなって、寄りかかっていた柱のそばの御簾の下から、そっと手をのばして(中の君の)袖をつかんだ。
中の君は、
〈やはりこういうことなの、ああ嫌だ〉
と思うと、なにが言えるだろう、なにもおっしゃらないで、ますます奥に入っていかれるので、(中納言は)ついていってとても馴れた感じで、上半身を御簾の中に入れて(中の君に)寄り添って横になられる。
「変に思わないで。内々のほうがいいと聞いて嬉しかったのは、(わたしの)聞き違いかどうか、確かめたかっただけです。よそよそしくなさるような仲ではないのに、(奥に行くなんて)情けないことをなさる」
と恨まれるので、(中の君は)返事をする気にもなれず、あまりのことに(中納言が)憎くなってくるのを、無理に気持ちを静めて、
「こんな方とは思いもしなかった。女房たちがどう思うか。ひどいお方」
と非難して、泣きそうな様子なのも、多少はもっともなことなので、(中納言は)かわいそうには思われるが、
「これが非難されるほどのことですか。このくらいの対面なら昔もある、思い出してください、お姉さまのお許しもあったのに、まったくその気がなく嫌に思っていらっしゃるとは、悲しくて情けない。好色めいた嫌なことはしないから、安心してください」
とおっしゃって、とても穏やかに振舞ってはいらっしゃるが、この半年ばかり、(中の君を宮に譲ったのを)悔やみ続けてきたのが苦しいほどになってきた気持ちをしみじみと言い続けて、放してくれそうな様子もないので、(中の君は)どうすることもできず、辛いなんてものではない。父宮との長い付き合いで関係が深いだけに、かえって決まり悪く不愉快なので、泣いてしまわれるのを、(中納言は)
「どうしたのです。大人気ない」
と言いながらも、なんとも言えずいじらしく気の毒に思われ、慎み深くこちらが恥ずかしくなるほどの気品ある物腰などが、かつて一夜を過ごしたときよりも一段と大人びていらっしゃるところなどを見ると、
〈わたしから宮に譲っておいて、こんなに辛い思いをしなければならないとは〉
と、悔やまれると、(中納言も)また、声をあげて泣かれる。
近くに控えていた女房が二人ほどいたが、見ず知らずの男が入って来たのなら、
〈どうしたのだろう〉
とそばに寄ってくるだろうが、親しくお付き合いしていらっしゃるお二人だから、
〈なにかわけがあるのだろう〉
と思うと、(近くにいるのも)遠慮されるので、知らないふりをしてそっといなくなったのは、(中の君には)お気の毒なことだった。中納言にとって、以前のことを悔やむ堪えがたい恋心を抑えるのは難しかっただろうが、以前のあの一夜でさえ(中の君になにもされなかったように)人とは違う慎重な人柄なので、今回もやはりじぶんの思い通りにするようなことはなさらなかった。こういう(男女の)ことは、こまごまと、書くわけにもいかない。このまま帰るのは残念だが、人に気づかれても困るので、(中納言は)あれこれ考え直して出て行かれた。
(24)
〈まだ宵の頃〉
と思っていたが、明け方近くになっていたので、
〈(誰かが)見て怪しむのではないか〉
と心配になるのも、中の君の立場を気づかわれるからである。(中納言は)
〈気分がすぐれないと聞いていたが それも当然だ、とても恥ずかしがっていた妊婦用の帯に気づき、それが痛々しいあまりにやめてしまった、いつもながらばかな男だ〉、
と思うが、
〈思いやりのないことをするのは、やはりわたしの望むところではない、また、一時の心の乱れにまかせて、強引なことをしたら、これから気軽に会うことはできないし、人目を忍んで通っていくのも気苦労が多い、あの人(中の君)も宮とわたしの間であれこれ悩まれるだろう〉、
などと、賢く考えてみても(恋心は)抑えられず、さっき会ってきたばかりなのに恋しくてならないとは困ったものである。どうしても(中の君に)逢わないではいられないという気持ちになられるのも、まったく強情な困った恋心である。昔より少しほっそりとして、上品で可愛らしかった中の君と、離れ離れでいるとも思われず、今もなおじぶんの体にぴったり寄り添っているような感じがして、ほかのことはなにも考えられない。
〈宇治にとても行きたがっていたから、望みどおりにお連れしようか〉
などと思うが、
〈宮は、お許しにならないだろう、だからといって、内緒でお連れしたら、なおさらよくない、どのようにしたら、世間体も見苦しくなく、思いを遂げることができるだろう〉
と、魂が抜けたようにぼんやりと横になっていらっしゃる。
まだとても暗い早朝に(中納言は)(中の君に)手紙をさし上げる。例によって、うわべはきっぱりと立文(たてぶみ 正式な書状)にして、
「いたづらに 分けつる道の 露しげみ むかしおぼゆる 秋の空かな
(むなしく帰る道の露の多さに 昔のことが思い出される秋の空です)
冷たい態度は、納得できず辛いばかり。言いようがありません」
と書いていらっしゃる。お返事をしないのも、女房たちに
〈いつもと違う〉
と怪しまれては、困るので(中の君は手紙を書かれる)、
「拝見いたしました。ひどく気分が悪いので、お返事はできません」
とだけ書いていらっしゃるのを、(中納言は)
〈あまりにも短い手紙だ〉
と物足りなく思われ、(昨夜の)美しかった姿ばかりを恋しく思い出される。
〈(結婚して)少しは男女のことがわかったせいか、あれほど呆れたひどいことと思っていながら、うっとうしくてならないというのでもなく、とても洗練されたこちらが恥ずかしくなるほどの品のよさが加わって、困っていながらもわたしを優しくなだめたりして、うまく帰してしまわれた〉
とあの時の(中の君の)心づかいを思い出すと、悔しくもあり悲しくもあり、あれこれ心から離れず、やりきれない思いがする。
〈あらゆる点で、昔よりずいぶん立派になられた〉
と思い出される。
〈なあに、宮が捨ててしまわれたら、あの人(中の君)はわたしを頼りになさるだろう、だがそうなっても、公然と気やすくは逢えないが、人目を忍ぶにしても愛する人はあの人しかいない 最後の人になるだろう〉、
などと、ただ、中の君のことばかり、ずっと思われるのは、とんでもない心ではないか。あれほど思慮深く賢そうにしていらっしゃっても、男というものはどうしようもない。大君を亡くした悲しみはどうにもならないことなので、これほどまでに苦しくはなかった。だが中の君のことでは、あれこれと考えて苦しんでいらっしゃる。
「今日は宮が(二条院に)お越しになりました」
などと、人が言うのを聞くと、後見人としては(宮の訪れを)喜ぶべきなのにそんな気持ちはなく、胸がどきどきして(宮が)羨ましくてならない。 |
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